『知的生活を楽しむ小論文作法』『入門・論文の書き方』

そろそろ仏教大学のレポートをまとめなければならないのだが、考えてみれば今までレポートのまとめ方についてしっかり推敲を重ねたことがなかったので、論文の書き方についての本を少し読んでみた。

鷲田小彌太『知的生活を楽しむ小論文作法』(三一新書 1992)を読み返す。著者は小論文とは特殊な知識や技術を必要としない、相手を理解させる筋道だった文章だと明確に定義づける。そして必要なものは高校の教科書にある「教養」であり、ヘーゲルのいうところの「理性的なものは現実的なものである。現実的なものは理性的である」教養を学ぶことに重点を置く。初心者には少し難しいストレートな小論文の指南書となっている。

書くために読むのは、精神の集中をうながす。ひどくよく読めるのである。漫然と読むことがないのである。よく読もうと思ったら、書くために読むのがいい。私が、小論文上達の最良の道は、読んだ本を解説したり書評をすることにある、と考えるのも同じ理由からである。しかし、小論文の色合いの微妙な違いは、テーマに直接関係の無い「教養」を、どれだけ身につけているかによって決まるのである。この違いは、微妙だが、如実に現れるのである。そして、「教養」のつけ具合は、どれだけ読んでいるかによって決まる、と言ってよい。もとより「読む」(read)とは、書物を読むことだけを意味しない。世界という書物を読むのである。しかし、書物を通して読まれた世界は、広大無辺なのである。尽きるところがないのである。探索の果てがない、と言うことだ。しかもいながらにして読めるのである。片手でつかめる程度の書物の中に、世界の知識や情報がパックされているのである。

同じ著者であるが、鷲田小彌太『入門・論文の書き方』(PHP新書 1999)を読む。PHPから出ているせいもあろうが、上記の著書と比べ、渡辺昇一を礼賛し、共産主義研究の著書は全て無駄なものになったという吐露したり、少々露悪な内容になっている。しかし読者の読むスピードも考慮しながら文章を明快なものにする工夫が大切だという意見は分かりやすい。先に見出しや目次を作って全体像を押さえながら、それぞれの項目の中心論点をキイワードやキイフレーズにまで絞り込んでいくことで、一項目に詰め込む内容をスリムにすることが出来る。大論文だろうと小論文だろうと、一つの論点に対しては原稿用紙5枚くらいが限度である。大きなテーマになればなるほど、論点を増やして一つ一つの論点をスリムにしていかないと独りよがりの文章になってしまうという指摘は耳が痛い。

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