埼玉朝鮮初中級学校に参加して

〈はじめに〉

2003年5月24日、さいたま市にある埼玉朝鮮初中級学校の公開授業に参加した。
現在、文部科学省に認可された朝鮮民族学校は朝鮮大学校を含め約100校を数えるが、「一条校」という学校教育法に基づく「正規の学校」とは認められず、いまだに「各種学校」として位置づけられている。そして、公的機関による財政支援の制限や、卒業生の国公立大学受験の資格が付与されないなど、ざまざまな点で「一条校」と大きな格差をつけられている。実際在日の民族学校は、父母が日本人と同じように納税しているにもかかわらず、私学助成金をほとんど受け取ることは出来ない。初級学校の生徒一人につき年間170万円近くかかるが、親の負担では到底賄いきれず、残りは全て寄付に頼っている現状である。同じ県内で私学に関わるものとして看過できない問題である。
昨年来テレビでは盛んに北朝鮮を「危険な国」、「怪しい国」と格好のバラエティ的材料として冗談まじりに報道しているが、実際日本においてはどのような民族教育が展開されているのだろうかと、現状を把握したいと思い参加してみた。

〈朝鮮学校の歴史〉

1945年の敗戦時、強制徴用、徴兵などによって日本に残り住み着いた在日朝鮮人は約200万人を数えた。そのうち約140万人は戦後すぐに帰国しまい、残った60万人の在日朝鮮人によって在日朝鮮人連盟が結成される運びになった。この朝連は戦前の在日朝鮮人の民族運動や労働運動の歴史を受け継ぐもので、社会主義・共産主義を志向する人たちと民族主義の思想をもつ人たちの統一戦線的な組織であった。その朝連が中心となって帰国準備をするにあたっての必要な言語や歴史などの民族教育を行うために設立した朝鮮人学校が現在の朝鮮学校の母体である。8・15以後わずか1年足らずで525の初級学校、4つの中学校、12の青年学校が建てられ、生徒数約4万4000人、教員数約1100人を数えるまでに急成長した。しかしその後の米ソによる朝鮮半島の分断によって、1948年には米占領軍の意向で「朝鮮人学校閉鎖命令」が出され、各地の朝鮮人学校は閉鎖に追い込まれた。また当時の吉田茂内閣はとくに朝鮮人民族団体に対して強硬な態度をとり、朝鮮戦争前夜の1949年にはGHQのレッドパージの一環として、「団体規制令」によって朝連および在日朝鮮民主青年同盟などに解散命令を出している。また朝連解散の空白の機会をとらえて、朝鮮人学校337校に対して閉鎖あるいは改組の通告が出されている。そしてサンフランシスコ条約締結後、日本が独立してから後は「朝鮮人は外国人であるから日本政府には教育の義務も責任もない」として公立の朝鮮学校は廃校に追い込まれる事態まで生じている。
朝鮮戦争後の1955年に朝連を受け継ぐ形で、「北」を支持する在日朝鮮人総連合会(総連)という在日民族団体が誕生した。そしてその総連が中心となって再び朝鮮人学校を各種学校として立て直し、1965年の「日韓基本条約」締結後は私立の「外国人学校」として再出発をした。
しかし認可後も、日本軍による朝鮮植民地支配についての歴史教育の時間が多いという理由で「反日教育」というレッテルを貼られて、私学助成金も普通の私立学校の10分の1に程度に抑えられてきた。また学校教育法第一条に定める学校ではないために、大学への進学や各種スポーツ大会への参加も制限されてきた。さらに、2003年3月に文部科学省は外国人学校のうち欧米系学校のみを「特定公益増進法人」として認定し、国立大学受験資格を認めたが、朝鮮学校などのアジア系民族学校を認定から除外した。明らかな民族差別が現在も残っていることを示唆するものである。
しかし近年公立学校の中にも外国人学級が数多く設けられたり、朝鮮学校の高野連加盟や、私立大学や公立大学の半数以上が朝鮮学校にも門戸を開くようになってきたことは評価に値するであろう。

参考資料:2003年2月22日付け 朝日新聞社説

 民族学校――大学の受験資格を認めよ
 文部科学省がインターナショナルスクールの卒業生に対し、大学を受験する資格を与える見通しだ。しかし、朝鮮学校や韓国学校など民族学校には従来通り受験資格を認めない方向で検討を進めている。インターナショナルスクールも民族学校もほとんどが各種学校である。卒業生が国立大学を受験するには、大学入学資格検定(大検)に合格しなければならない。
 今回の文科省の方針は外国人学校のうち、民族学校を切り離すというものだ。しかし、日本の学校と同じような教育水準ならば、民族学校であれ、インターナショナルスクールであれ、外国人学校すべてに受験資格を与えるのが当然だろう。
 なにも民族学校の卒業生を無条件で国立大学に入れろ、というわけではない。大検を経なくても、大学の入学試験を受けさせたらどうか、というだけのことだ。そういうことは文科省も十分承知のはずである。本音は「いま北朝鮮系の朝鮮学校の卒業生に受験資格を与えれば、北朝鮮を利するようにみられる。北朝鮮に厳 しい国民の雰囲気にあえて逆らうことはない」といったところではないか。韓国学校や中華学校などは、その巻き添えというわけである。
 確かに、北朝鮮に対する国民の不信や不安は募っている。北朝鮮の体制と二重写しになって、日本にある朝鮮学校の教育内容に対しても、疑念を抱く人はあるだろう。反日的ともいわれる民族教育、政治色の濃い授業に抵抗感をもつ人も少なくない。しかし、拉致事件や核開発疑惑、人権抑圧などの問題と、日本の朝鮮学校の問題はそもそも別ものだ。もちろん、教育内容は日本の学校と同じではない。しかし、一方で、文科省のつくった学習指導要領を参考に多くの科目を教えていることも事実なのだ。
 朝鮮学校の卒業生のほとんどは社会の一員として普通に暮らしている。卒業生には、大検を通って国立大学に合格した人もいる。公立や私立の大学の半数以上は独自の判断で外国学校からの受験を認めているので、公私立大学でも朝鮮学校の出身者が増えている。朝鮮学校に通っている生徒や児童は約1万1千人だ。ほとんどの卒業生が日本に永住するという現実がある。
 大学受験へのハードルを高めて疎外感をあおるよりは、積極的に門戸を開いて教育の機会を与える方がよいのではないか。それは朝鮮学校の教育内容を変えていくことにもつながるだろう。国立大学は04年度をめどに法人化される予定だ。国の組織から切り離され自由な判断ができるようになる。どういう人を入学させ、教育するかは、本来、大学が判断すべきことである。文科省はこの際、余計な規制をなくす方がいい。

〈埼玉朝鮮初中級学校の公開授業の様子〉

〈正面入り口の様子〉
日本の小学校1年生から中学3年生に該当する児童生徒が一緒に学ぶ学校である。

〈小学校1年生の日本語の授業風景〉
国語(ハングル)の授業と平行して小学校1年次より外国語(日本語)の授業も行われる。

〈小学校2年生の音楽の授業風景〉
ピアノの伴奏に合わせて、「アニョハセヨ♪ アニョハセヨ♪」と大きな歌声が響く。生徒のためらいのない無垢な声に、少し緊張していた心をほぐすことが出来た。

〈小学校3年生の授業〉
意外に若い先生が多かった。日本にある朝鮮大学校出身が多いためであろうか、服装こそ公開を意識してか、チョゴリ着用であったが、茶髪や、パーマをかけた教員も多く、自由な教育スタイルが伺われる。

〈中学生の日本の授業風景〉
中学校からは「矛盾」や「五十歩百歩」といった故事成語の勉強も入る。生徒からは「耳に小判」やら「猫に水」といった珍解答も寄せられたが、日常生活の上での日本語能力は全く問題ない模様。おそらくは平均的な同世代の日本人よりも日本語の 知識はあるのではないだろうか。きれいなノート作りに余念のない女子生徒の光景など日本の中学校と何ら変わるところがない。

〈中学生の授業風景〉
男性の教員は全員がスーツにネクタイ姿であった。公開授業だからあえて着用している風でもなく、日常的なスタイルなのであろう。また生徒もありふれた制服を着用していた。中学3年生の女子生徒の数名がチョゴリを着ていたが、真新しいものでおそらく 公開授業を意識してのものであろう。

〈小学校2年生の生徒の絵〉
日本人の子どもと変わらない絵である。しかしその「変わらない」という当たり前のことが悲しいことながら新鮮に感じられる。

〈教室の片隅の絵〉
戦前の国民学校のように、金日成と金正日の御真影が飾ってあるのかと思ったが、教室に片隅に金正日と子ども達が戯れる絵が飾ってある程度であった。卒業後も生徒の大半が日本に残ることを意識してのことだろうか。ことさら北朝鮮を意識させるものはなかった。

〈中学生の地理の授業〉
北朝鮮の地名や地形について学ぶ。日本に生まれ日本で育った生徒が大半のためか、都市の位置や大きな山脈などの基本的な知識も不十分な生徒が多かったように見受けられる。

〈教室の後方の掲示物〉
おそらくは日本の学校の教室でも目にすることの多い清掃当番のルーレットであろうか。細かく分担が決められいる。

〈朝鮮学校の改革の狙い〉

帰り道、配布資料として配られた朝鮮新報(2003年1月24日付け)の「同胞のニーズ強く意識:宗都憲・学友書房副社長に聞く」と題した教科書改編のポイントについてのコラムに目を通した。朝鮮学校自体日本にある北朝鮮の一学校ではなく、あくまで日本に基盤の根を下ろした自立した教育目標を掲げていることが分かる。排外的な主体思想を喧伝するものではなく、近い将来の統一を視野に入れた時代の趨勢に沿ったものである。

 同胞の子どもが自らのルーツを肯定し、人生を自主的に切り開く力を育むためには、新しい時代に対応した民族性の育成が急務だ。通常、海外で育つ同胞の子どもの場合、民族性は自然に身につくものではなく、家庭と学校における目的意識的な教育を通じてのみ獲得できる。民族を自覚、意識する初中級課程はとくに重要だ。今日、同胞の多くは、朝鮮人に対して歴史的に形成された偏見と蔑視、差別が残る日本社会においても、子どもたちに豊かな民族性を与えたいと考えている。
・民族性育成を全面に出しながら、現代社会の変化のすう勢に合わせ、児童・生徒がさまざまな問題の本質を見抜く目を育てることをねらった。
・中3「朝鮮歴史」は、北と南、海外の同胞が共有できる統一教科書をめざす。抗日パルチザン闘争を基本にしながら、日本の朝鮮植民地支配時に国内外の各地で展開されたさまざまな民族独立運動を具体的に取り上げる。
・近年における在日同胞社会の変化を念頭におき、在日朝鮮人問題に関するより幅広い知識を育むよう記述を変えている。とりわけ在日同胞、同胞社会に対する歴史認識を育むため、日本の朝鮮植民地支配時に同胞1世が体験した苦難の歴史、解放後、半世紀にわたって祖国、民族を愛し、同胞コミュニティーを築いてきた歴史も扱った。
・初中級を含めたすべての教育課程で南朝鮮社会と統一問題を扱ったのが今改編の主要な点だ。南朝鮮については、「6・15北南共同宣言」に象徴される統一をめぐる新しい情勢を念頭におき、統一のパートナーとして位置付け、客観的な知識を与える。京義線連結に象徴される北南間の経済交流、離散家族の再開、総連同胞の故郷訪問、ソウルで公演する朝鮮学校児童・生徒の様子など和解の動きも写真入りで生き生きと伝える。

 現在の朝鮮学校の民族教育は「民主主義的民族教育」と呼ばれ、形式においては民族的でありながら、内容においては民主主義的な教育を目指すものとされる。前項の授業風景や上記の教育方針からも分かるように、北朝鮮本国内での反米感情を前面に出した民族教育とは異なるもであり、また共産主義革命のための思想教育とも異なる。もはや北朝鮮に帰るための言語・文化の教育ではなく、卒業後も日本社会でたくましく生きていくための教育を第一の目標としていることが理解できる。ここでいう「民族性」とは、自らの出自、存在を客観的に学び、認めることから、自らの生き方を積極的に捉えようとする自己肯定観である。祖国北朝鮮との距離が大きくなり、日本社会の差別偏見もいまだ顕在する中で、自らの過去のルーツと現在のありようと、そして未来を照射するための自己確認の目安としての民族意識育成が明確に打ち出されている。

〈民族意識の歴史的な位置付け〉

敗戦当時の在日1世が抱えてきた祖国北朝鮮を志向する民族意識と、現在の在日3世4世が抱える日本社会との共存を第一とした民族意識をどのように捉えればよいのだろうか。ここでは韓国において獄中の中で真摯に自らを見つめ直した徐勝氏の家族に宛てた手紙の一節を紹介したい。徐勝氏は1970~80年代の韓国民主化闘争において政治犯として捕まり、長年にわたって刑務所生活を強いられた人物である。日本で生まれ日本で育った自らのアイデンティティを分析する中で、韓国の民族意識の問題について考察を深めた人物である。この中で徐勝氏は80年代までの「反日」を底流においた韓国人の民族意識は、容易に国家に絡めとられてしまう。分断を定着化させる国家にいくら忠誠を誓ったところで、到底南北統一という目標に到達できないと示唆している。

 昨日、上告理由書を提出した。長い内容ではない。訴訟法上の制約をうけているため、論点は簡単だ。要は、民族理性と、法=国家理性の背反を論点の基礎としている。西洋では、Nationという言葉自体が、民族も国家も同時に意味しているが、「民族」というのがより伝統的、生態学的、情緒的な概念であるのに対し、「国家」というのは、いうまでもなく権力的側面をより強調するものだ。
 民族主義は、わが民族においては、李朝末期の外勢侵入に反対する抗争という形で近代的展開をする。したがって、外勢の進出によって規定される受動的民族主義として発現し、日帝の植民地支配に反抗する民族主義として、ますますその精度をたかめ、「アンチ」思考方式によって規定され成長してきた。そのため、その対象が悪であればあるほどそれだけ民族主義は善となり、対象が前近代的であればあるほど、民族主義はますます進歩性を帯びることとなった。したがって、受動的民族主義は、最高の理性と正義を代表し、崇高な精神を担っていたのであり、無限の可能性をはらんでいたのだ。
 解放を迎えてのちには、この民族主義は国家問題の介在のために複合的な性格を帯びることとなり、この問題が直接的に投影しなかった僑胞社会においてのみ比較的純粋な形態を残存させている、といえる。
 民族主義の発展的過程において、受動的民族主義→能動的民族主義への跳躍の過程で、現実的権力の問題と現実的展望が要請されるが、とくに、分断状態がもたらした権力争奪問題と国際政治力学による民族主義の歪曲などが民族主義の発展を阻害した。擬制的解放と独立が旧来の「反日」のみを形式的にかかげた虚偽的意識、false民族意識をもって装飾された。まさに、民族主義の空洞化現象が引き起こされたのだ。

〈現在の朝鮮人学校出身者の民族意識〉

これまで在日韓国・朝鮮人の民族意識と言うと、「民族意識」を強固に維持していこうとするタイプと、日本社会への「同化」を強めていくタイプとの二極分解といった構図で、アイデンティティのありようが捉えられてきた。
確かに在日1世2世の頃は日本への恨みと祖国への望郷の念を抱きつつ、差別と貧困を闘ってきた。そして抑圧的な日本社会に抗する「受動的な民族意識」が育まれてきた。しかし2003年現在、民族学校の通う一部の者を除いて、在日3世4世の大半が朝鮮・韓国語をほとんど話すことが出来ず、日本語しか読み書き出来ない。そしてそのほとんどが日本社会の中で、生まれながらにして日本の生活習慣の中で暮らし、日本的なものの考え方、感じ方、価値観を持つ者である。すでに日本社会に完全に「同化」してしまっているといっても過言ではない。
では、朝鮮語を母語とし、北朝鮮の伝統文化を受け継がんとする民族学校出身者はどのようなアイデンティティを持っているのだろうか。上記の二極分解な構図で捉らえることは出来ないだろう。彼らとて祖国北朝鮮を諸手を挙げて礼賛するものは皆無であろうし、日本社会で引き続き暮し、日本人との共存を望むものが大半である。かといって日本人との完全な「同化」は望むものではなく、自らの出自、存在を最後は民族に依拠していき、そのことで逆に日本社会で力強く共存を図っていこうとするものだ。
これらは裏を返せば、日本人自身の民族意識、国家意識とも繋がってくる。「日本国」はもはや日本人だけのものでない。また「日本人」という概念すらもその定義の境界線はすでに崩れている。ならば朝鮮学校出身者の育んできた「民族意識」は、もはや日本人が排除すべき問題でも、日本社会で受け入れるべきといった国家レベルの話でもない。それは日本の社会に芽を出し始めた真の民族共存の種である。「同化」「異化」といった他者的な国家レベルでの捉え方ではなく、我々自身がいかに自分とは違う人間を認め、そのことから逆に自らを確認していく作業が出来るのかというの内面的な姿勢が問われている。果たして日本人自身がどこに自らのアイデンティティを求めていくのかという古くて新しい問題が生まれてくる。
最後に福岡安則著『在日韓国人・朝鮮人』の中で引用されている李昌宰氏の言葉を紹介したい。

 ぼくは、日本人と共に、っていう言葉、好きなんです。いままでも、共に生きてきたし、共に働いてきたし、共に社会を築いてきたけど、その築いてきた社会から排斥されてきたわけですね。それを返したったらいいんです。みんなでお互いの違いも含めて認め合いながらやっていきましょうよ、と。だって、“みんな一緒や”って思わされてるだけやからね。日本人も。ほんとは、一人ひとり違うでしょ。さまざまな人間が集まって社会を作ってるのに、“みんな一緒や”いう言葉で、うまくまとめられてしまって、自分の立場に気づかない。朝鮮人がそこに入ることによってね、そのことをわかってもらいたい。ぼくが朝鮮人問題やってるのは、自分が自分でありたいための闘いやから。そっからすべてが始まるんちゃうかな。

〈さいごに〉
締め切り直前の忙しい中、キム・ヒョンジョン監督作品『二重スパイ』という韓国映画を観に行った。1970~80年代に韓国で諜報活動する北朝鮮のスパイが主人公の映画である。内容自体はスパイ映画にありがちな国家への忠心と恋愛感情の背反するもつれをテーマとしたありふれたものであったが、韓国と北朝鮮の政治的主張の溝の深さがそのまま、主人公の揺れ動く心理や行動に投影されていた。ちょうど韓国前大統領の金大中氏が日本で拉致され、死刑判決を宣告されていた頃の話であり、改めて日本が安保の下で一定の平和を謳歌していた頃、韓国では軍事政権が支配していた事実を思い出した。北朝鮮による南朝鮮共産革命と、韓国による米韓安保を基軸とした北朝鮮民主化政策のどちらもが、民族同士の共存共栄を志向したものではなく、国家による排外的な統一を志向したものであった。
それから30年経ち、「南と北は国の統一問題を、その主人公であるわが民族同士で互いに力を合わせ、自主的に解決していくことにした」と謳った南北共同宣言(2000年6月)、「(日朝)双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む決意を表明した」と確認した日朝平壌宣言(2002年9月)を経て、日本、朝鮮、韓国の3国の関係も大きく変った。しかし、それらの国と国の結びつきもすべてアメリカの影響のもとに作られたものであり、アメリカ抜きの3国の枠組みは具体的に見えてこない。
しかしブッシュ大統領自身2002年1月に一般教書演説の中で北朝鮮を「悪の枢軸国」と名指しし、武器禁輸と南北国境の軍隊撤退を求め、第二次大戦直前の日本への挑発的要求と同様の態度を取っている。そして近い将来アメリカが北朝鮮に先制攻撃を仕掛けた際、日本政府はそして一人の日本人としてどのような行動をとるべきなのだろうか。拉致問題を抱えたまま単純に戦争反対を表明はできないだろう。日本で積み上げられてきた反戦運動がアメリカによる北朝鮮攻撃にどのように向き合うのか、その内実が問われるであろう。「LOVE&PEACE」といった感情的な反戦運動では必ず矛盾が生じるであろう。
そしてその問題は何より日本人が在日朝鮮韓国の人たちとどのように向き合っていくのかという問題と密接に繋がってくる。2002年に施行された住民基本台帳ネットワークは行政手続きの迅速なオンライン化や住民サービスの向上という表向きの目的以外に、いざ朝鮮有事が起きた際に、顔の似ている日本人と在日韓国朝鮮人を法的に明確に区別するという隠された目的があるという。また2003年3月に出された「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題された中教審答申の中に「国を愛する心」が盛り込まれ、民族を愛することと国を愛することが一致しない在日朝鮮韓国人の中にとまどいが生じている。住民基本台帳ネットワークによって「日本人」と「日本に住む人」に明確に線引きがなされ、公教育においても「日本」が前面に出される逆境の中で、いかにして在日の民族教育を受けていれていくのか、日本人一人一人の意識が問われている。

〈参考文献〉
姜尚中『日朝関係の克服』集英社新書、2003年
金城一紀『GO』講談社、2000年
姜信子『ごく普通の在日韓国人』朝日新聞社、1987年
尹健次『もっと知ろう朝鮮』岩波ジュニア新書、2001年
伊東輝夫『お笑い北朝鮮:金日成・金正日親子長期政権の解明』コスモの本、1993年
徐京植『徐兄弟獄中からの手紙』岩波新書、1981年
在日朝鮮人の人権を守る会『在日朝鮮人の基本的人権』二月社、1977年
金正日『マルクス・レーニン主義とチェチェ思想の旗を高くかかげて進もう』在日本朝鮮人総連合会中央常任委員会、1983年
福岡安則『在日韓国・朝鮮人』中公新書、1993年
李恢成『砧を打つ女』文芸春秋、1972年
吉岡増雄『在日外国人と日本社会』社会評論社、1984年
磯貝治良「『在日』の思想・生き方を読む」『季刊三千里』三千里社、1986年夏号