小川洋『消えゆく限界大学:私立大学定員割れの構造』(白水社 2016)を読む。
大学を卒業後、20数年間、埼玉県の県立高校の地歴科の教員として勤務し、私立大学の教職課程担当となった著者が、主に女子大や短大から4年制大学へ移行し、鰻登りに成長していった大学、一方で生徒募集に行き詰まっている大学の現状を紹介し、理事会の経営判断の重要性を力説する。
著者は短大や女子大から4年制の共学大学への移行に成功した例として武蔵野大学と目白大学を挙げている。また、地方の大学という不利な条件を覆して地元密着型の就職で成功した例として松本大学と共愛学園前橋国際大学をあげている。1990年代末から急激な生徒減少を迎え、多くの大学があたふたする中で、理事会の経営判断の早さが功を奏した好事例として評価している。
一方で、1990年代以降、高校生が興味を持ちそうな「国際」「コミュニケーション」「子ども」「心理」「情報」「環境」「スポーツ」の7つのキーワードの中から2語組み合わせた学部・学科が急増したが、それらを擁する大学が2010年代に入って軒並み生徒募集に苦しんでいる。それらの大学は「ゴールデンセブン」とも言われる1986年から1992年までの大学の臨時収入が急増した時期に、大した経営展望のないままに短大から4年制に改組した大学や就職直結の医療系や福祉、教育学部を新設するだけの拡張路線を突っ走った失敗事例として取り上げている。
孫引きになるが、英文学者で法政大学名誉教授であった川成洋私は、2000年に上梓した『大学崩壊!』の中で、次のように述べている。まるで昨年今年の日大の理事会をそのまま評したような内容である。
理事の中には、大学の経営とか運営といった視点を微塵も持ち合わせず、まるで自分ですべて決定しうる「零細企業の社長」か「町の商店主」気質丸出しの人物が多い。一口で言えば、金と権力には貪欲で、おおよそ「教育」とか、「学問」などといった理知的な分野に馴染まない連中が、何故か、ちゃっかり理事に収まっている。