本日の夕刊に、朝刊には間に合わなかった参議院選挙比例代表の結果が掲載されていた。
ちょうど100万票で名簿の上から一人ずつ合格していくという計算だったので、各党派の勢力状況が分かりやすかった。自民党は比例で2000万票余り集めており、当選は19名、民進党は1100万票で当選11名、公明は750万票で当選7名、共産が600万票で5名、大阪維新が500万票で4名、社民が150万票で1名、生活が100万票で同じく1名の当選となっている。衆議院に比べ比例復活といったややこしい制度もなく、すっきりと選挙での民意を反映しているように思う。7対3、いや8対2くらいで与党の勝利となったが、野党統一候補も決して良くはないがそれなりの戦いをした。
いまだに、私が投票した人物は落ちるというジンクスは続いているが、憲法改悪阻止、反安保、脱原発、格差社会是正に向けた戦いは、これからも続いていく。1年くらい前の新聞記事にあったが、全部勝てる訳ではない。でも勝ち負けを繰り返しながらも反対の声を上げ続けていくエネルギーが大事なのである。勝負は終わっていない。
月別アーカイブ: 2016年7月
「不信任が独裁を生むジレンマ」
本日の東京新聞朝刊の「時代を読む」というコラムで、哲学者内山節氏の文章の一節が印象に残った。
内山氏の持論でもあるお互いの顔や生活が見える「里山」的な世界のあり方を説く内容となっている。最近の雑駁なニュースから持論まで展開していく丁寧な文体は参考にしたい。
コラムの一部を引用してみたい。
(英国のEU離脱を巡る国民投票の実態から)英国の国民投票は、中下層の大衆の反乱によって離脱が決まったと解説されているが、実際には、エリート層とそれに同調する人たちの反乱が起きているのではないだろうか。だがそれは、かつてのような社会全体の改革を求める反乱ではない。国のあり方は自分にとっても重要ではないという「反乱」がすすみ、それに同調する人たちの裾野が広げられていく。
そういう動きが先進国では一般化してきている。米国の大統領選挙はニュースでみる限り盛り上がっているようにみえるが、最近の投票率は大統領選で50%台、国会議員の選挙だと40%前後である。
だがそうなればなるほど、組織票をもっているところが選挙で勝ち、「民主的な制度の下での独裁」がすすんでいく。人々の意識のなかで国家の価値が低下し、信任する必要性のないものになっても国家は存在し、その政策によって私たちは影響を受ける。
人々の意識が離れていくというかたちでおこっている国家の空洞化が、逆に独裁的な政府を成立させるのである。直視しなければいけないのは、現代世界にひろがっているこのジレンマなのではないだろうか。
おそらくこの問題の解決は、日常的に関われる世界に権限を移譲する以外にはないのだろう。地方分権、地域主権を徹底する道である。とともに、空洞化し、独裁化していく国家と向き合う作法を、私たち自身も確立しなければならなくなっている。
『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 』
夕方、子どもたちと一緒に、YouTubeで寺本幸代監督『ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜』(東宝 2011)を観た。
子供向けと思いきや、結構ハラハラドキドキな展開で、親の私の方が夢中になってしまった。この『ドラえもん 鉄人兵団』という映画は私が小学校6年生の卒業後の春休みに一人で映画館へ観に行った作品のリメイクである。当時、見終わった後に、「これから中学生だから、もう子供が観るようなドラえもんは卒業だな」と心の中でつぶやいていたことを覚えている。
あれからちょうど30年経って、自分の子どもとソファに並んで座って「ドラえもん」を楽しんでいる今という時間を不思議に感じる。