森哲郎『劇画・日本国憲法3:自由と権利の闘い』(リサーチ社 1978)を読む。
日本国憲法で保障された基本的人権や社会権、生存権などが、庶民の生活エピソードに即して紹介されている。妻に奴隷的な残虐行為をする、水道を止められ る、組合を作るなど、ちょうど高校の社会の授業で先生が分かりやすく具体例を挙げて説明するような内容なので、頭の悪い私も参政権や請求権など理解するこ とができた。
月別アーカイブ: 2010年2月
「高等学校における発達障害の支援~特別でない特別支援教育~」
本日の午後、さいたま桜高等学園で開かれた公開講座に出かけた。
京都府立朱雀高等学校で特別支援教育に関わっている島貫学氏の「高等学校における発達障害の支援~特別でない特別支援教育~」と題した講演を聞いた。
島貫氏は京都市内の普通科高校に勤務され、教務部という立場から「気になる生徒」のフォローを担当している。特別支援教育というと生徒指導部もしくは保健部の一部の教員が担当するものと相場が決まっているが、島貫氏は、普通科高校では学習のつまづきや欠課が嵩み、単位認定に大きく絡んでくるので、教務を中心に情報の共有化を計ることを提案している。また、入試を経て入学してきているので、「障害」の診断を前提に話を進めていくのではなく、あくまで普通科の教育スタイルの中で可能な個別の対応、誰でもが分かりやすい授業、公平な教員の接し方などが大切だと島貫氏は述べていた。
それに比べ、文科省や埼玉県の押しつけ的な「特別支援教育」や「個別の指導計画、支援計画」「校内委員会制度」は、教員の負担感が大きく、拙速な施策であることは否めないであろう。
また、特に発達障害は障害だけを見るのではなく、発達の「凸凹」と捉え、落ち込んでいる面だけを見るのではなく、秀でている面を同時に見る必要があると島貫氏は述べていた。
よく議論になる障害の「ガイ」の字の表記について、島貫氏は、表意文字である以上漢字をひらがなに直すだけでは解決にならないと述べる。そして「行く手をさえぎるような石を見つける」という意味の「碍」の字や、「石の前でためらい、足をとめる」という意味の「礙」の字を当ててみてはと提案している。
パンフレット研究:健康科学大学
2003年に開設された新しい大学である。山梨県南都留郡にあり、富士急行線河口湖駅から車で15分の緑豊かな場所にある。
健康科学部一学部のみで、理学療法学科、作業療法学科、福祉心理学科の3学科が設置されている。但し、その3学科は平等の学部としては扱われていない。理学療法学科専属の講師陣が、自学科だけでなく、他学科の基礎・臨床・一般教養の授業も受け持ち、理学療法学科を中心に大学が構成されている。社会福祉士や精神保健福祉士、認定心理士の資格を目指す福祉心理学科や作業療法学科はおまけ的な存在となっている。
入試制度を見ても、福祉心理学科と作業療法学科は8月から3月までAO入試を行っているが、理学療法学科はほぼ一般入試のみで募集を行っている。
近隣に大学がないので、地域医療を担う人材の育成機関として要望されているのであろうが、わざわざ「福祉」や「心理」などの出口保証の厳しい学科を設けてまで、4年制大学として運営していく必要があるのだろうか。
『劇画・日本国憲法2:流血の安保闘争』
森哲郎『劇画・日本国憲法2:流血の安保闘争』(リサーチ社 1977)を読む。
日本国憲法成立から岸信介退陣まで、憲法を巡る国会の動き、政治に翻弄される憲法を丁寧に描いている。単なる漫画ではなく、常に著者森哲郎さんの民衆の視点で問題を捉えており、内灘闘争や砂川事件、安保闘争と憲法の関わりが、心に染み入るように理解することができた。