鄭讃容『英語は絶対勉強するな!②』(サンマーク出版 2001)を読む。
英語を日本語に翻訳する技術だけを高めようとする受験英語では決して英語のコミュニケーション能力は身に付かないと著者は断じる。そして、とにかく子どもが言葉を学ぶように、ひたすら英語の「音」だけを徹底して聞きつづけることから始めよと教授する。そして次に、聞こえた通りにすべてを書き取り、そしてそれを「台本」にして最初から最後まで真似しながら音読するせよと述べる。まず聞いて話す練習を繰り返すことで、英語に慣れる土台を作る。そして、今度は分からない単語を英英辞典で引き、そこに記されている解説や例文をノートに書き写すことで、英語の意味を「英語のまま理解する」力を涵養し、英語で良く使われる文章表現パターンや生きた文法を自然に身に付けることができると説く。
英語をひたすら聞くことや、英英辞典を引くなどは昔からあったやり方である。しかし、自分が聞いた通りに書き取り、それをテープの話し方や発音を真似ながら英語を身に付けていくというやり方は、考えてみれば新しい学習法である。ただ正しい答えや発音を真似るのではなく、自分のリスニングやボキャブラリーをスピーキングを通して修正していくという手法は時間はかかるが、確実に英語をものにできる学習法であろう。
月別アーカイブ: 2006年6月
Google earth
インターネット検索サイトのGoogleが作ったGoogle earthというソフトをダウンロードして使ってみた。屋根の形や車の車種まで分かる精密な衛星画像を自由に拡大したり視点を変えたりでき、さながらSF映画に出てくるコンピュータをいじっているような気分であった。初めてインターネットを触ったような新鮮な驚きがあった。海外の都市やら人も踏み入らないような森林の画像を眺めていると、何か自分の中の世界観が大きく崩れていくような不思議な感覚に包まれた。
猫は敷布で丸くなる♪
『文学なんかこわくない』
高橋源一郎『文学なんかこわくない』(朝日文庫 2001)を読む。
競馬の予想屋という印象の強い著者であるが、本業の文学批評においては硬質な文章を展開する。
「小説は(文学は、広くは本は、といいかえてもかまわぬが)言語だけでできている、だから使用されている言語がダメなら、その小説はアウトなのである。このことに例外はない。さらにもう一つ、小説は最後まで最初の一頁と同じ物質でできている、ということである。このことにも例外はない。だから最初の一頁を読めばすべてわかるのである」の主張のもと、藤岡信勝の『教科書が教えない歴史』の序文や、渡辺淳一の『失楽園』、加藤典洋の『敗戦後論』などをテクストレベルで完膚無きまでに批判を加えている。
さらに、話は「政治と文学」論争に移り、高橋氏は、政治も文学も言葉でできている以上、結局は文学も政治も同じものだと述べる。つまり、言葉はそれぞれの言葉を作り出した人間の世界の中で丁寧に吟味され、矛盾のないよう選ばれるものであるため、それぞれの言葉を使う者は自分の正しさを疑わない。そのため、いつしか言葉が独り歩きを始め、「言葉が作り出した空間の中での正しさ」ではなく、単なる「正しさ」のみが表出してくる、それが言葉の持つ本質的な政治性である。言葉を扱う以上、「誤る」ことは必然であるのに、言葉の政治性は突き詰めていくと、「やつは敵だ。殺せ!」と自らの正当性の保証する最終手段へと一気に突き進んでいくしかないのである。
高橋氏は文学を次のように定義する。
文学とは結局のところ、その国語によって、その国語に拘束された空間を越えていこうという試みだからだ。文学だけがそれを可能にする。そして、その試みの中にしか、文学の根拠はないのである。
『司書・学芸員になるには』
ここしばらく多忙を極め、読書量も激減し、このHPの更新も滞っていた。まだ忙しい日々が続くが、最低限毎朝夕、新聞には目を通し、寸暇を惜しんでたくさんの本を読んでいきたい。まだまだ子どもから目が離せないので、趣味の映画観賞に浸る日は遥か先と予想される、映画もどんどん見たいものだ。
森智彦・深川雅文『司書・学芸員になるには』(ペリカン社 1999)を読む。
就職難の世相を鑑みてか、図書館司書や学芸員の創作的な仕事の魅力の紹介以上に、司書や学芸員の門戸の狭さを強調していた。確かに博物館学芸員一本で生活していくことは今日難しい。学芸員の項の著者のまとめの一言が印象に残った。
学芸員の職さがしは、根気のいることである。募集はたしかに多くはないものの、あるときはある。学芸員を目指す人に大切なことは、そうしたチャンスが巡ってきたときに、いつでも納得のいく勝負ができるように、日ごろから自分の知識と経験を磨いておくということである。そして、なによりも、自分が関心をもっているものごとへの愛情を忘れぬことである。「継続こそ力なり」という言葉は受験時代によくいわれることだが、学芸員の就職で大切なのは、あるものごとに対する継続する関心の強さと深さを支える一つの愛情であるということができるかもしれない。