吉本隆明『吉本隆明の僕なら言うぞ!:こんなニッポンとの正しいつき合い方』(青春出版社 2002)を読む。
銀行中心主義や農業、公共投資を重視するケインズ的政策に固執する当時の自民党小渕内閣を批判しながら、返す刀で、高度消費資本主義の現状分析を誤っている社民党や共産党などの既成左翼を斬る。そして、現在は消費を中心に経済が回っているから、消費者が安心して金を使えるような社会制度を構築すべきだという民主党的論調を繰り返す。
しかし、果たしてどのような読者がこの吉本の著書を手に取っているのだろうか、大いに疑問である。学生時代は戦後民主主義を礼賛し、現在は民主党の強調する都市の生活者を中心とした社会民主主義を信奉する団塊の世代辺りが、未だに吉本隆明を持ち上げているのだろうか。
就職して職業人になっちゃうと、雇われたところの職業的視野になってしまいがちで、これはある意味ではとても情けないことなんですね。だから普遍的視野が得られるような就職口を探すわけですし、またそうなりたがるわけです。
政治家とか学者とか芸術家、文学者というのはみんな高等遊民なんですよ。これは何がいいかというと、大きな視野をいつでも持てるということ。それが利点なんですね。だから高等遊民に類する職業になりたい。職業人になるなら、そういうのになりたいというのは、誰もの願望であったり希望であったりするものだと思います。俺は違うよ、という人は本来いないので、やむをえなければそうなんですけれど、どこかで大きな視野を持ちうる職業、つまり開放された気分になりますし、開放された視野を持ちうる、そういう場所に行きたい。職業ならばやっぱりそういうところに行きたい、というのは万人の持っている思いです。だから、そういうところにできるだけ行こうと考えて当然なわけです。