月別アーカイブ: 2004年12月

『吉本隆明の僕なら言うぞ!』

 吉本隆明『吉本隆明の僕なら言うぞ!:こんなニッポンとの正しいつき合い方』(青春出版社 2002)を読む。
 銀行中心主義や農業、公共投資を重視するケインズ的政策に固執する当時の自民党小渕内閣を批判しながら、返す刀で、高度消費資本主義の現状分析を誤っている社民党や共産党などの既成左翼を斬る。そして、現在は消費を中心に経済が回っているから、消費者が安心して金を使えるような社会制度を構築すべきだという民主党的論調を繰り返す。

 しかし、果たしてどのような読者がこの吉本の著書を手に取っているのだろうか、大いに疑問である。学生時代は戦後民主主義を礼賛し、現在は民主党の強調する都市の生活者を中心とした社会民主主義を信奉する団塊の世代辺りが、未だに吉本隆明を持ち上げているのだろうか。

 就職して職業人になっちゃうと、雇われたところの職業的視野になってしまいがちで、これはある意味ではとても情けないことなんですね。だから普遍的視野が得られるような就職口を探すわけですし、またそうなりたがるわけです。
 政治家とか学者とか芸術家、文学者というのはみんな高等遊民なんですよ。これは何がいいかというと、大きな視野をいつでも持てるということ。それが利点なんですね。だから高等遊民に類する職業になりたい。職業人になるなら、そういうのになりたいというのは、誰もの願望であったり希望であったりするものだと思います。俺は違うよ、という人は本来いないので、やむをえなければそうなんですけれど、どこかで大きな視野を持ちうる職業、つまり開放された気分になりますし、開放された視野を持ちうる、そういう場所に行きたい。職業ならばやっぱりそういうところに行きたい、というのは万人の持っている思いです。だから、そういうところにできるだけ行こうと考えて当然なわけです。

『シンデレラのパソコン「超」活用法』

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野口悠紀雄『シンデレラのパソコン「超」活用法』(講談社 1997)を読む。
雑誌『フラウ』の連載を改作したもので、女性向けのパソコンの指南書となっている。WIndows95の頃の話なので、情報としてはほとんど役に立たなかった。そのなかで、阿川佐和子さんの「女性は機械の構造や性能にそれほど関心を示さず、純粋に使えれば良いと割り切ることができるので、パソコンに抵抗感が少ない」という指摘は意表をついており興味深かった。

『バカの壁』

 遅ればせながら、養老孟司『バカの壁』(新潮新書 2003)を読んだ。
 話としては特に目新しいこともなかった。先月に大脳の機能に関する本を10冊近く読んでいたので、楽しく読むことができた。社会と人間の関わりという諸学問のすべてを概観する「脳社会学」の立場で人間を分析していく。途中気になる表現も多かったが、バランスがうまく取れていた。特に文系向けの脳に関する本では、この「バランスを取る」ということが難しい。

 (イラクかアメリカかといった一元論的な思考をする人の例を紹介)この辺の硬直性を見ると、考え方が戦前に近くなっている人が増えているような気がする。一神教的な考え方は日本の中だってたくさんあります。例えば戦時中の八紘一宇、世界を天皇を頂点とした一つの家と考える、なんて考え方は、その代表例です。ついこの間それをやって、こりごりしているはずなのに、また一元論で行くのか、と思う。
 天皇制だって、昭和の初年ぐらいまでは、その後の太平洋戦争中ほど絶対化されたものだったとは思えない。天皇を国の一機関として捉える天皇機関説なんてものがあってくらいですから。ところが、戦争が始まってから、どんどん神格化されていった。
 その頃のことを考えれば一番分かり易いのですが、原理主義が育つ土壌というものがあります。楽をしたくなると、どうしても出切るだけ脳の中の係数を固定化したくなる。それは一元論の方が楽で、思考停止状況が一番気持ちいいから。

羽田第二ターミナル

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テレビのバラエティ番組で宣伝してたので、早速「東京に詳しい」埼玉県民根性を発揮して、羽田の第二ターミナルへ出掛けてみた。これまで羽田は大きすぎて飛行機が見られるスポットが少なかったが、この第二ターミナルはわざわざ見物客用に飛行機が間近に見られるように屋上展望台が用意されている。19、20歳の頃だったが、バイクで羽田まで来て、空港のフェンス脇から早朝に缶コーヒー片手に飛行機を眺めていたことをふと思い出した。眼前にどーんという形で見る飛行機もよいが、世阿弥の『風姿花伝』にもあるように、ちらっとかいま見える飛行機もまた良いものである。
しかし、これほど飛行機がはっきりと見え、離陸する姿と音が観客を魅了したら、羽田空港の近くの「翼の見える公園」には人が集まらなくなってしまうのではと要らぬ心配をしてしまう。