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『ファンタジーの冒険』

小谷真理『ファンタジーの冒険』(ちくま新書 1998)をパラパラと読む。
古今東西のファンタジー小説の評論集である。非常に読みにくい文章で、ほとんど読み飛ばしたが、日本のファンタジーノベルを代表する作家として、先日亡くなった酒見賢一氏を取り上げていたのが印象に残った。
何を評価しているのかは、文章を読んでも分からないが、高い評価を与えているということは理解できる。

歴史でもなければ、歴史小説でもない、どこか『真実』とみまごう『偽史』の語り口は、歴史的言説とそれを成り立たせている記述的方法論それ自体と戯れているように見える。

『社会の今を見つめて』

大脇三千代『社会の今を見つめて:TVドキュメンタリーをつくる』(岩波ジュニア新書 2012)をパラパラと読む。
著者は中京テレビに報道記者として入社後、数々のドキュメンタリー番組を手がけ、現在フリージャーナリストとして活躍している。その著者が番組制作の過程で映像には収まりきれない現実の矛盾を綴っている。日本で水商売をするフィリピン人女性や苛烈な労働環境で交通事故を起こしたトラックドライバー、戦争体験、病院での人手不足など、立場によって様々な課題がしてされるテーマについて論じている。

『カナダ・インディアンの世界から』

煎本孝『カナダ・インディアンの世界から』(福音館書店 1983)をパラパラと読む。
著者は国立民族学博物館や北海道大学で人類学を研究している学者である。机上の学問ではなく、実際に何年もインディアンと共に生活することで、彼らの生活を細かく記している。

福音館書店は主に児童書を刊行している出版社である。この本も小学校高学年以上の漢字には全て振り仮名がふってある。しかし、中身は銃を用いたトナカイの狩猟の具体的な方法と、トナカイを捌いて料理にする細かい叙述があるエグい内容となっている。
一部を紹介したい。

まず、頭の皮が剥がされる。これは後に縫い合わせて乾燥肉などを入れる袋にされる。後頭部の肉はナイフで切り取られる。この肉は味が悪く食べるに適さないといわれ、子犬に与えられる。上顎と下顎とを別々にする。さらに、下顎は左右に開かれたふたつの部分に分けられる。これは、猟場で見られた解体方法と同じ手順である。下顎の先端部の骨から肉がはずされる。先端部の骨を叩き割り中から骨髄を取り出す。下顎後部は骨付き肉のまま水の入った鍋に入れられる。
さて、上顎と頭蓋は眼窩の下を斧で割り、切り離される。さらに、頭蓋部分は左右に斧で割られ、中から脳が取り出される。脳は煮て料理されうが、トナカイ皮は鞣す時に使うため一部を生のまま取っておくこともある。

おどろおどろしい文章であるが、トナカイと共に暮らし、トナカイを大事にするカナダ・インディアンだからこそ、顎や眼球、脂肪、骨髄液まで取り出して大事に使うのである。「骨の髄まで」とはよく言ったものである。

カナダ・インディアンとは、アラスカ内陸部からカナダ中央部にひろがる針葉樹林帯(タイガ)に住み、夏には川や湖での漁撈、冬には凍土帯(ツンドラ)から季節移動してくるトナカイの狩猟を行なって、生活している北方狩猟民のことである。カナダやアラスカの北極海沿岸部に暮らすイヌイット(エスキモー)とは、生活地域が微妙に異なっている。カナダ・インディアンは生肉を食べるイヌイットを侮蔑しているそうだ。

また、トナカイはサンタの乗り物というメルヘンチックなイメージがある。しかし、実際は春から夏にかけてはツンドラへ、秋になるとタイガへ集団で南下してくる移動性野生動物種に属する。

『近代日本の批評』

柄谷行人編『近代日本の批評 昭和篇[下]』(福武書店 1991)を少しだけ読む。
浅田彰、蓮實重彦、三浦雅士の3方との対談集となっている。小林秀雄や平野謙、吉本隆明、絓秀実などの文芸評論家を取り上げた批評集となっている。80年代後半のニューアカデミズムの香りがプンプンする著書であった。

『英語でよむ万葉集』

リービ英雄『英語でよむ万葉集』(岩波新書 2004)を2ページだけ読む。
どうもリービ英雄さんの文章はあたまに入ってこない。代表的な万葉集の歌を丁寧に英訳しているのだが、単なる英作文の本になっており面白くなかった。せめて実際に現地を訪れた場面や写真などあればよかったのに。