小泉知樹『彼女は嘘をついている』(文藝春秋,2006)を一気に読む。
痴漢被害で無実の罪で逮捕され、女性の自白のみの調書で起訴された男性が、2度にわたる控訴審の棄却を経て、1年3ヶ月収監され、そして再審請求を始めるまでの一連の顛末が描かれる。
警察官や検察官、裁判官どもの「事勿れ主義」な杜撰な仕事に、著者と一緒に怒りが湧いてくる。自分は果たしてどうなのか。空気を読むだけのやり過ごしな態度はどうなのか。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『文学がこんなにわかっていいかしら』
高橋源一郎『文学がこんなにわかっていいかしら』(福武書店,1989)を1時間かけて読む。
いまから35年前のバブル華やかりし頃の文芸時評である。ちょうどファミコンソフト「ドラゴンクエストⅢ」が発売された時期で、日本橋の三越本店でファミコンソフトを買うために行列し、売り場まで殺到する光景は懐かしかった。中学生ながらそんなニュースを見ていた記憶がある。
ドラゴンクエストについて高橋氏は次のように述べている。分かるよなあ。
「ドラクエⅠ」から「ドラクエⅡ」へと移り変わっていく過程は、自然成長性とでも呼ぶべき過程だったのかもしれず、その中で「ドラクエ」は製作者の思惑をも越えたゲームに変貌した。それは、我々の無意識をどこかで解放し、そのことによって百万単位の「読者」を生み出したものである。だが「ドラクエⅡ」から「ドラクェ皿」への過程は、すでに生み出した「読者」へ拝跪する過程だったのだろうか。自らが生み出した「読者」のために、「万人に開かれたゲーム」という幻想が生まれた瞬間から「物語」の導入は不可避であった。「ドラクエⅢ」は名工たちにょって磨きあげられた最高のエンターテインメントである。だが、それはスピルバーグの善意のエンターテイメントがそうであるように、そのサーヴィスによって我々をどこまでも軽い疲労へおとしこむのだ。だから、我々はこう言わねばならない。我々に必要なのは「善意」にみちた(それが「悪意」でもほとんど変わりはないのだが)「物語」ではなく、底が抜け、その抜けた底から冷たい風が吹きあがる「ゲーム」そのものなのだ、と。
『アジアに共に歩む人がいる』
川原一之『アジアに共に歩む人がいる:ヒ素汚染にいどむ』(岩波ジュニア新書,2005)をパラパラと読む。
著者は早大卒業後、朝日新聞の記者として宮崎県土呂久のヒ素鉱毒被害者の取材を重ねるうちに、新聞記者を辞め、アジア砒素ネットワークを設立し、アジア全体のヒ素汚染の調査・対策に取り組むようになった方である。
ヒ素は自然界中に存在するものであり、人間の経済活動が生み出した公害とは言い切れない。ただし、多くは比較的新しい地層にあり、農業や鉱業で地下を掘り進めるうちに流出することが多い。執筆当時アジア最貧国とも呼ばれていたバングラデシュでのヒ素鉱毒の調査の模様が報じられている。
『自然再生』
鷲谷いづみ『自然再生:持続可能な生態系のために』(中公新書,2004)をちょこっとだけ読む。
「SDGs(持続可能な開発目標)」という言葉が登場する10年以上前の本だが、気候変動や生物多様性、森林破壊、人類との共存、健全な農業・食卓、里山の可能性、英国での田園風景再生の取り組みなど、目新しい話題を平易な文章で説明されている。
さらに、人間によって意識的・無意識的に持ちこまれる外来種は、在来魚を脅かすオオクチバス、アマミノクロウサギやヤンバルクイナなどの絶滅の危険を高めているマングースなどの例からもわかるように、最近では非常に大きな脅威となって、在来の生物が絶滅の危機にさらされる主要な原因のひとつとなっている。人為的な環境改変を受けた土地は外来種が生活するのに適しており、外来種は世界的にも猛威を振るう傾向を強めている。日本では北アメリカからもたらされたオオブタクサやセイタカアワダチソウなどが在来の植物に大きな影響を与えているが、日本の植物も、たとえばクズは北アメリカで、イタドリは英国で厄介な害草となっている。日本のワカメはオーストラリアの海域に広がり、もっとも厄介な外来種のひとつとして認識されている。
『秋田をこう変えよう!』
21委員会編『秋田をこう変えよう!:21委員会からの提言』(秋田文化出版,1993)をちょこっとだけ読む。
教材研究の一環として手に取ってみた。今から30年以上前、団塊ジュニア世代が成人になった頃で、まだまだ少子化や景気悪化などは感じにくい頃である。しかし、その頃から秋田では農業への不安が語られていた。
その中で、魁新報社の元社員の石川嘉明さんのコメントが印象に残った。
この間上小阿仁に行って驚いたわけ。北林孝市村長に「何人生まれましたか」と聞いたら、「二十人だ」と言うんですよ。「何人お亡くなりになりましたか」と言ったら「五十四人だ」と言うんですよ。つまりね、生まれる人の倍以上死んでいるわけだ。まあそれはおいといて、二十人のうち女性は十二人、つまり半分ですよ。そこでちょっと計算してびっくりしたわけですが、昨年生まれた十二人が全部村に残って、健康で結婚して子供を産んだ場合、何人産むだろうか。特殊合計出生率を一・五三人としますと、だいたい十八人産むんですよ。そのうち女性が半分ということになりますから、九人なんですね。この九人の女性が何人子供を産むかというと十三人、十三人のうち六人が女性、こうして行きますと、大変乱暴な計算ですが、上小阿仁の場合六世代で生まれる子供はゼロになってしまうんですよ。これは極端な例ですよ。だから秋田の場合も三十五年後、七十九万人になっていくわけでしょ。日本の場合も百年後で現在の半分、二百年後にまたその半分、三百年後にはゼロになるという計算もある。百年後のことは我々の世代の問題ではないが、確実に滅びの道”を歩いていると見ているわけ。
数年前、南外村に行ったときに、南外の農協の職員を一人養うのに十数人で養っていると言うんですよ。やがて四人で一人養わなければならないと、真剣に話し合っているんですよ。農協の職員を養うために農民が働くという重大な結果を招くことになる。だいたい組合員が五百人とかさ、そのくらいで農協がやって行けるわけがないですよ。だからいずれ県南、県北、中央に一つ、やがては一県一農協時代がやって来るかも知れない。この間大曲農業高校の草薙稲太郎校長と話し合ったんです。県内には農業高校が六校あって毎年三千人の卒業生を出している。今年の就農者はたった四人だと言うんですよ。農協初め農民達の間に本物の意識革命が起こりませんと、未来は開けてこないと思うんです。
