読書」カテゴリーアーカイブ

『化石のたのしみ』

若一光司『化石のたのしみ:愛しき太古の生きものたち』(河出書房新社,1987)をパラパラと読む。
著者は芸術家であり、小説家であり、テレビのコメンテーターであり、化石愛好家という多才な才能のタレントを持った方である。最終学歴は美術の高校卒業であり、化石の専門家ではない。
小説家と化石好きの二足の草鞋を履きながら、化石探しに奔走する様子を描いた前半は興味深かった。後半は化石の解説ばかりで読み飛ばした。

ドラえもんの映画『のび太の恐竜』でも登場したフタバスズキリュウは、1968年福島県いわき市内で、高校2年生の鈴木直少年が発見したことから名付けられた恐竜で、中世代のジュラ紀から白亜紀にかけて世界中で栄えた海生爬虫類である。日本では陸生の恐竜の化石が発掘される土地は限られているが、海生恐竜であれば、関東甲信越を中心に日本全国で発掘される可能性がある。

『氷河への旅』

樋口敬ニ『氷河への旅』(新潮選書,1982)をパラパラと読む。
著者は京都三高、北海道大学を経て、長谷大学水圏科学研究所の教授を務めていた方である。専門は氷雪物理学であり、本書も氷河の研究で世界各地に出かけた際の諸々がまとめられたコラム集となっている。

ほとんど読み飛ばしたが、エベレストの高さが8,848メートルについての話が興味深かった。エベレストの高さは、対流圏界面の上空10000メートルに近く、造山運動による隆起と風化による侵食の相互作用によって決まっているのではないかと疑問を呈する。対流圏界面とは、地面近くの対流圏とその上にある成層圏との境目で、地上から昇った空気はここで一応止められる。いわば大気の天井である。その高さは熱帯で高く、極で低く、季節によって変わる。エベレストのあたりでは、冬に1万メートルの高さにある。

圏界面の上では水蒸気が少なくなり、雲もない。そのため、エベレストに降り注ぐのは、雲に遮られることのない”裸の太陽光線”である。岩肌は昼に温められ膨張し、夜になると岩の放射冷却を遮る雲もないので、岩肌は急速に冷やされる。こうして昼と夜で加熱と冷却がはげしく繰り返されると、岩石についた雪が昼に溶けて割れ目に浸み込む。夜に水が凍って膨らみ、割れ目を拡大する。

造山運動によってじわじわ盛り上がってきたヒマラヤの高嶺は、この圏界面付近の激しい風化作用で削られる。かりに直径10センチの頂上の浮石が崩れ落ちれば、100年分の営々とした上昇量を失うことになる。

『地球の解剖』

A・カイユ、竹内均訳『地球の解剖』(平凡社,1983)を読む。
タイトル通りの内容で、地球の外形、地球の内部、地殻の解剖、地球の化学組成、地球の起源、大陸の運動、造山運動と章立てされ、翻訳も分かりやすい。ただし、原書は1970年に刊行された本で、プレートテクトニクスや地磁気の移動、海溝の形成などは、はっきりとは書かれていない。

『ベースボールと野球道』

玉木正之+ロバート・ホワイティング『ベースボールと野球道:日米間の誤解で示す400の事実』(講談社現代新書,1991)を少しだけ読む。
サブタイトルみある通り、タオルを用いたシャドウピッチングは日本生まれの練習法でMLBでは行っていないとか、狩猟民族のMLBには引き分けがないとか、日米の野球の違いについて400の項目で紹介されている。

しかし、30年以上前の本であり、まだ日本人がMLBに挑戦していなかった頃の話である。日本の野球スタイルが逆輸入されており、現在はどうなんだろう。

アメリカ人が日本に野球を紹介したのは明治時代初期の頃であった。それは日本人が初めて接した団体競技であり、瞬く間に日本全土を席巻するほどに人気を獲得したという。その理由として、投手と打者の対決が相撲や二人の武士による対決に類似していた点や、日本の伝統芸能や格闘技に見られるのと同様の〈間〉が存在していたことなどが挙げられる。また、当時の文部省もアメリカ生まれの団体競技を「日本人の国民性を伸長していく上で有益なもの」とみなしていた。

また、一高野球部では、武術の教義を持ち込んで、際限のない鍛錬による精神の錬磨を最も重要な要素と考えられていた。さらに、大正時代の早稲田大学野球部にも受け継がれ、高校・大学の日本の野球部に共通する思想と練習体系が作られていった。

『DNAがわかる本』

中内光昭『DNAがわかる本』(岩波ジュニア新書,1997)を少しだけ読む。
「はじめに」と「あとがき」だけ読んだ。どうしてもこの手の生物の本は受け付けない。抗原抗体反応のように拒絶反応が始まってしまう。だいたい、読者に分かりやすく酵素や精子を擬人化して説明するのだが、その説明がどうしても受け付けない。

わかったことは、蛋白質の「蛋」という次はニワトリの卵という意味だということだけだ。英語で蛋白質のことを「プロテイン」というが、これは(生物にとって)一番基になるという意味からできた言葉で、蛋白質が生命活動の中心を担うというところから付けられている。プロテインやアミノ酸というと、なにか通常の栄養のオプション的なものと感じてしまうが、蛋白質こそが私たちの生命の基本の基本なのである。