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本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞一面の天皇特例会見に関する記事が興味深かった。
記事によると、宮内庁が定めた「陛下との会見は1ヶ月前までに申し込む」というルールを無視して、小沢一郎民主党幹事長が中国習近平国家副主席と天皇との会見を設定したことに端を発する。

羽毛田宮内庁長官は「陛下の国際親善は国の大小や政治的重要性で行ってはいない。憲法上も政治的中立になさってきた。内閣の命令には従うが、陛下のお務めの在り方を守るのが私の役割だ」と強調。さらに「憲法のひとつの精神として天皇は政治的に中立であるべきだとされている」と反論した。

その発言に対して、小沢民主党幹事長は「天皇陛下の国事行為は、内閣の助言と承認で行われるのが憲法の本旨。それを政治的利用と言うのなら、陛下は何もできない。国事行為は全部政治利用になっちゃう」と述べた。
また、安倍元首相は記者団に対し、「これまで幻覚に運用してきたルールをいとも簡単に破ってしまったのは、今後の天皇の政治利用という面でも大きな禍根を残した」と指摘した。

羽毛田宮内庁長官の言う「政治的に中立」というのは、少しずれていると思う。小沢氏の「国事行為は内閣の助言と承認で行われるのが憲法の本旨」という見解の方が字義上は正しい。基本的に外交は、内閣もしくは立法府の100%の責任のもとで行われるべきである。
日本国憲法第7条第9号に「外国大使及び公使を接受すること」とある。「接受」とは「受け入れる」ことであり、そこに選択的ニュアンスは含まれない。宮内庁の言う「政治的中立」に政治的意味を与えることは、国民主権の点からも止めた方が良い。

しかし、一方で明仁さん個人にも政治的自由はあってしかるべきであり、彼自身に納得する時間は必要であろう。
この手の話が出てくるたびに、天皇制そのものが制度疲労を起こしていることに気がつく。天皇制度そのものも事業仕分けの対象にならないのであろうか。国民の象徴という重責を生まれる前から負わされる現行の天皇制度では、日本国憲法に縛られている家族が可哀想である。早く国家の抑圧から解放してあげた方がよいと思う。

「厄介な”中野重治”的課題」

本日の東京新聞夕刊に、「厄介な”中野重治”的課題」と題した挑戦的な意見が、匿名辛口コラム「大波小波」に載っていた。全文引用してみたい。

 「中野重治が生きていたら何と言うか」といった仮定的考察は、十年前、小田切秀雄『中野重治-文学の根幹から』に見られた。評論「冬に入る」の石川達三や川上徹太郎への批判の重要さも、松下裕『評伝 中野重治』が解いていた。魯迅の影響も、とっくに本多秋五が指摘していた。
それら先行論述との重複をおそれず、その上に立ち、戦後六十余年の新見地から改めて一文学者の時代的良心を検証するのが、竹内栄美子『戦後日本、重治という良心』(平凡社新書)。すぐれた表現力と政治的倫理性をそなえた中野重治に、傾倒するのみでなく、「負債(誤り)」も容赦なくえぐる。ソ連のチェコ侵攻(1968年)への容認その他、詳細な資料による重厚な論述展開のかたわら、河村湊の中野観(政治優先とする)の誤りなども厳しく否定している。
だが、共産党除名問題のからむ、重治の生涯の二律背反的課題〈政治と文学〉の苦悩、いわば「鉄の意志」対「やわらかい心臓」の内的相克は、なお充分に解明されてはいない。重治は日本人の〈鈍感〉を攻めたが、重治自身の古い共産主義への執着といった鈍感さはどうか。「良心」という既成概念を捨て、さらに厳しく「反戦平和」の声を重治に求めるのは無理だろう。

今思い返すに、私自身が十数年前に卒論を書く際に、最初に思いついたテーマは「国労闘争と中野重治」であった。中野重治の希求する「反戦平和」と国労の反戦運動の類似を研究するという超マニアックなものであった。しかし、あまりのテーマ設定の難しさにすぐに挫折したという経験がある。確かに中野重治には、盟友小林多喜二の死、それ以降の「転向」問題もあり、ピュアな戦前共産主義運動に対する望郷の念が心の底に眠っている。まして中野は、共産主義運動を、レーニンの「帝国主義論」を経由することなく、直接にドイツ・マルクスの原典から学んでいるので、共産主義を詩や文学に近い純粋なものと捉える傾向が強い。
今夏、中野重治の墓に参ったが、もう一度、きちんとした形で中野を研究したいという気持ちを再確認することができた。

『2012』

2012_movie

子どもをお風呂に入れてから、ララガーデンへ、ローランド・エメリッヒ監督『2012』(2009 米)を観に行った。
西暦2012年、古代マヤ文明の古文書が予言した「終末」に従って、太陽の活動が活性化され、そのあおりで地球の崩壊が始まっていく姿が圧倒的なスケールで表現される。そして、その情報をいち早く聞きつけた国連常任理事国にG8を加えた先進国の首脳たちが現代版「ノアの箱舟」の建造を密かに始め、その箱船に乗る人々の悲喜劇を描く。
ビルや飛行機が爆発するだけでなく、地盤が傾き、街全体が地割れに飲み込まれ、チョモランマまで津波が押し寄せる。つっこみどころはたくさんあるのだが、観客の思考力すら奪うような映像がスクリーンに展開され、「大作を観たっ~」という満足感に浸ることができた。

本日の東京新聞から

本日の東京新聞夕刊に、東京都葛飾区のビラ配布事件の最高裁判決の記事が掲載されていた。この事件は2004年に、共産党を支援する僧侶が、マンションに都議会報告のチラシを配布しに立ち入ったところ、住居侵入罪で現行犯逮捕され、23日間も身柄を拘束されたという、極めて後味の悪いものであった。
このマンションには広告のチラシも多数投函されているにも関わらず、住民の通報があったというだけで、共産党のビラ配布のみが、「表現の自由の公使のためでも、マンション管理組合の意思に反して立ち入ることは、生活の平穏を侵害する」との理由で処罰されている。

被告の僧侶は「私が有罪なら、チラシや広告を配ったり、宗教の勧誘をしたりしても犯罪になってしまう。最高裁は現実を見ていない」と話している。
判決の中で、最高裁(今井功裁判長)は、「表現の自由は特に重要な権利として尊重されなくてはならず、ビラ配布は表現の自由の公使」と認めた上で、「憲法は表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、思想を発表する手段であっても他人の権利を不要に害することは許されない」と指摘している。

少々古い話になってしまうが、今から15年前の1994年に、六大学野球が行われる神宮球場で、「早慶戦天覧試合」についてのビラを撒こうと敷地内に足を踏み入れただけで、強制的に逮捕されるという事件があった。この事件などは、近所の住民も散歩をしている敷地内であるにも関わらず、「建造物侵入罪」に問われるという「違憲」以外何ものでもないものであった。
百歩譲って、葛飾区のビラ配布事件の「表現の自由を認めた上でのマンション住民の権利の侵害」が正当であるならば、その裏返しとして、最高裁は公道や公の場における表現の自由をきちんと擁護するべきである。「他人の権利を不要に害すること」こそが無制限に拡大解釈されてしまっては、表現の自由という憲法の根本理念が「庇を貸して母屋を取られ」てしまうことになる。

□ 早慶戦展覧試合国賠  □

東京新聞の記事より

昨日の東京新聞夕刊に、哲学者内山節氏の「時代を読む」と題したコラムが掲載されていた。
その中で、内山氏は、誇り高い労働とは、自己満足ができる労働のことではなく、「人々に尊重される労働、他者から価値を認められる労働のこと」であると定義づける。そして、現在の日本は価格や商品生産の効率化ばかりが議論され、労働そのものに対する尊重の意識が薄れていると述べる。「他人の労働をさげすみながら展開する社会は悲しい社会だ」と内山氏は嘆く。なぜなら、「自分の労働の価値を認めてもらえないなら、人間は根本的なところで不幸」であり、「こういう社会で働くことが、生活や自分の社会性を維持するための手段とはなっても、人生の目的にはならなくなってしまう」からである。

11月23日の勤労感謝の日は、戦前の新嘗祭の宗教性を糊塗するために化粧直しを施して作られた祝日である。しかし、春のメーデーと合わせて、労働の持つ意味、労働を通じた人生を考える機会としてよい時期に設定されていると思う。

 労働は人間の生命活動である。この生命活動と自然の生命活動によって、私たちの社会はつくられている。この生命体のなかで暮らしていると感じられる社会をつくらないと、お互いの労働を尊重しあう社会も生まれてこない。
雇用問題という現実的な課題の解決策も急ぎながらも、しかしそれだけですべてが終わるわけではないと言いつづける勇気を、私たちの社会はもっていたい。なぜなら、根本的な課題を忘れることは頽廃だからである。

また、本日の東京新聞朝刊に、武蔵野学院大学准教授の木暮祐一氏の文章が掲載されていた。
木暮氏は携帯電話研究家として知られ、1000台超のケータイコレクションを持ち、携帯電話情報サイト「携帯24」の編集長などを経て、今年の4月から現職に就いた異色の経歴の持ち主である。

「通信インフラ(基盤)」として始まったケータイは、インターネット接続サービス導入で、「情報インフラ」となり、さらに通信とは無縁な財布代わりにもなる「生活インフラ」となった。次は、あらゆるサービスを利用できる入り口としての「社会インフラ」となっていくだろう。

木暮氏は、ケータイの成長の方向性について上記のように述べる。日本の大学では工学部を中心とした情報関連の学科にケータイなどの情報通信技術を学ぶ学科がある。しかし、近いうちに新聞学科やマスコミ学科と同じように、経済学部や社会学部に「ケータイ学科」なるものが生まれてくるのは必至であろう。