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本日の東京新聞夕刊から

本日の東京新聞夕刊一面に、テレビ通販「ショップジャパン」を展開するオークローンマーケティング社長のハリー・A・ヒル氏の「少林寺拳法の魂」と題したコラムが掲載されていた。

 少林寺拳法の本当の素晴らしさは、単なる護身術である以上に、平常心を養うための精神修養や哲学にあると思っています。どんな場面に遭遇しても平常心を保ち、冷静に判断し、行動する。これはビジネスでも非常に大切です。経営者は日々さまざまな問題を解決していかなければなりません。そんな時にこの教えは非常に役立っています。
会社を経営する上で、大切にしている少林寺拳法の言葉が「拳禅一如」です。「拳」は肉体、「禅」は精神を意味し、肉体と精神は切り離すことができず、ともに修練しなければならないとの教えです。

ハリー・A・ヒル氏は、「平常心」と「調和」こそが武道精神の根幹であり、それは一人に人間の生き方であると同時に、ビジネスの哲学をも示すものだと述べている。

「平常心」と「調和」と口の中でつぶやいてみて、ふと空手家と同時に会社経営に携わる宇城憲治氏も著書の中で同様のことを述べていたことを思い出した。得てして格闘技というと、「闘争心」と「排撃」のイメージが強いが、本来の武道は相手を心身ともに凌駕しつつも、相手の気に同調する柔軟性が求められるのだ。

『新聞記者が受け継ぐ戦争』

 6月24日から26日の東京新聞の朝刊社会面に、新聞記者が受け継ぐ戦争と題して、記者佐藤直子さんの署名入りの記事が掲載された。元読谷村議で、現在は真宗大谷派の僧侶となった知花昌一さんの生きざまを丁寧に追っている。東京新聞の良心を感じるような記事である。
 知花さんは、1987年の国体で日の丸を燃やし、1995年には「象のオリ」の土地奪還闘争の先頭に立ち、今もなお闘いをやめない人である。その知花昌一さんの考え方や生き方を通して、戦後の沖縄の立場や歴史が丁寧に説明されている。

 知花氏は、沖縄の闘争を通じて、「この世で一番の差別」である「ハンセン病」の実態を知り、その後、「怒り」を新たな生き方へと繋げていくために「浄土真宗」に傾倒していく。
 知花氏の運動は、1972年までの本土復帰運動が原点になっている。しかし「核も基地もない沖縄」は実現しなかった。知花氏は、日本国憲法に保証された平和と、基本的人権と表現の自由がある、真の沖縄を求めて闘いを続けてきた。語弊をはばからずに言うと、本土を視点にすると「左翼」であるが、沖縄を視点にすると「右翼」である。日本政府さえも、米軍さえも恐れず、「怒り」をぶつけていく「特攻右翼」と表現してよいかもしれない。
僧侶になってからは、「突き進むだけでなく、ときには立ち止まって。一人になって考えるんですよ」とも述べている。そして、彼は最後に次のように述べる。

僕はね、日本の政治はどうしようもないけど、民衆には幻滅してなかったさ。忙しくて社会の問題に目を向ける余裕がないと思ってた東京の人が立ち上がった。これはすごい。

昨日の東京新聞朝刊より

昨日の東京新聞朝刊に、渋谷区の美竹公園など施設で寝泊まりする路上生活者の一斉排除の記事が載っていた。

公園で週1回の炊き出しを14年間続けてきた「渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合」によると、今月11日の午前6時半頃、突然大量の区職員と私服警官らが美竹公園に押し寄せ、建設工事用のフェンスと「立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープで頑丈に公園を封鎖したという。

のじれんの黒岩大助代表は「区からの事前通知や話し合いはなかった。突然、だまし討ちで寝込みを襲うような行為は許せない」とし、「一斉排除は路上生活者の寝場所と食事提供場所を一挙に奪うもの。『あとは勝手に死ね』ということに等しい」と批判している。

支援者の一人は「渋谷では、4月にオープンしたヒカリエ(渋谷駅東口の複合商業施設)に代表される都市再開発や、10月の区制式典など華やかな行事が続く。こうした雰囲気に逆行する存在として、路上生活者を敵視しているのでは」と話す。

こうした記事に触れるたびに、都会の片隅で追いやられる人たちの生きる権利を保障する社会、通勤や通学で忙しい毎日の中で、ふと周囲を見回し困っている人たちに寄り添うような人間を育てなくてはならないと思う。自分のことだけでなく、他人のことも合わせて考えられる、そうした知力の育成を大事にしたい。「大将」の批判の声が元気なうちに。

渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合(のじれん)

「公立図書館 サービス合戦」

本日の東京新聞夕刊に、「公立図書館サービス合戦」と題した記事が掲載されていた。

東京で公立図書館運営の民間委託が近年急増しており、23区では、計223館のうち182館(82%)で委託が導入されているという。民間委託によって従来の図書館になかったサービスが展開され、府中市では「図書館流通センター」に運営を委託し、蔵書83万冊にICタグを付けた新しい検索システムが導入され、年間貸出冊数が委託前の約2倍になっている。また、千代田区では「図書館コンシェルジュ」が置かれ、雑誌のバックナンバーが貸し出し中なら区内の古書店を紹介したり、観光案内などもしたりしてくれる。さらに、佐賀県武雄市は、ソフトレンタル店大手「TSUTAYA(ツタヤ)」を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブに運営を任せる方針を発表し、年間1千万以上の運営費の削減効果を見込んでいる。
しかし、民間委託には反対の意見もあり、日本図書館協会の理事は「民家委託で職員は使い捨ての状態。利用者の幅広い読書要求に応じて資料や情報を提供したり、地域に根ざした蔵書の管理など、公立図書館が本来持つ役割を果たすことが難しくなっている」と指摘している。

図書館というのものは、短期的な指標ではなく、中・長期的なスケールで国民の利益に供するべきものである。単に年間の運営費や昨年比の貸し出し数の表面的な数値だけで、民間委託の是非の判断を下すのは早計である。
しかし、アマゾンのキンドルや、グーグルのサービスなど、著作そのものがデジタルの波にさらされ、既存の流通システムや法の目すらかいくぐろうとする現在、民間委託によりアナログの本の流通のシステムを守ろうとする「抵抗」はあってしかるべきであろう。