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「カガメ大統領3期目」

本日の東京新聞朝刊国際面に、4日のルワンダ大統領選圧勝したポール・カガメ大統領が18日、3期目に就任した。国際社会からは強権支配に批判が集まるが、順調な経済政策を背景に最終得票率98.79%という圧倒的な国民の支持を得た。大統領選は、多数派の農耕を主とするフツ族が少数派の遊牧を主流とするツチ族らを襲撃して80万人が犠牲になった1994年の大虐殺以降、3回を数える。2000年から大統領職についているカガメ氏はツチ人である。

この記事の中で、ルワンダ(首都キガリ)が順調な経済政策を遂げているという点が気になって、ネットを調べてみた。
ルワンダは日本よりも人口密度が高い内陸国で、人口は1210万人もいる。国民の9割が農業に従事しているが、鉱業が盛んですずやタングステン、金、天然ガスなどが産出している。また、カガメ大統領がフランス語が話せないこともあり、近年はルワンダ語やフランス語は政府機関や学校教育から外され、英語が筆頭公用語としての地位を固めつつある。そのためイギリスやアメリカとの経済的関係も強化され、観光産業にも大胆に投資され、「アフリカの奇跡」とも呼ばれるようになっている。

人口も多く、成長率4%をこれから注目していきたい国である。

「社会の軍事化が進む」

本日の東京新聞朝刊一面に、日本を「戦える国」に変質させる安保法やその安保法に実質的お墨付きを与える安倍政権による改憲の危機が迫っている現状に対して、家族法・憲法学者の清末愛砂さんのコメントが掲載されていた。

学生時代から変わらない行動力が素晴らしい。確か阪大の院生時代に勉強が楽しいとおっしゃっていたことが記憶の片隅に残っている。全文引用してみたい。


自衛隊を憲法九条に明記する明文改憲が差し迫っている今、本当に戦争できる国づくりが進んでいると実感している。改憲派からは、護憲派は空想論的平和主義者との批判があるが、私はとても現実的な平和主義者だ。パレスチナやアフガニスタンで非暴力運動や難民支援に取り組んだ経験があり、安倍晋三首相よりもはるかに戦闘地や紛争地の現実を知っている。

 銃撃戦や目の前を戦車が走るのを目にし、武器や武力がいかに巨大な暴力を生むかを学んだ。自衛の名の下に暴力が増大する。武力に抑止力なんてない。パレスチナの難民キャンプでは、激しい銃撃戦に、生まれて初めて腰を抜かし動けなくなった。自分がいる建物の壁をガンガン撃たれた恐怖は消えない。殺された友人もいる。

 そうした現実を知らず、想像することすらせずに戦争ができる国づくりを進められても非現実的、非科学的としか思えない。現実的な観点から、憲法九条が非暴力的な社会をつくり出すために生かすことができる条文であると訴えたい。

 安保法制で自衛隊は専守防衛の組織ではなくなった。とりわけ集団的自衛権の限定行使を可能にした点で、侵略軍としての要素を持つようになった。明文改憲で自衛隊が明記されれば、その要素が増し、社会の軍事化が進むだろう。

 安保法制下で自衛隊の海外派遣が進められると、隊員は大きなストレスを抱えることになる。戦闘地には恐怖がまん延し、尋常でない緊張感を強いられる。隊員による派兵先でのさまざまな暴力や内部でのセクハラの悪化を招くだろう。

 安倍政権はどれだけ支持率が下がっても改憲するつもりだろう。護憲派は抵抗の手を緩めてはいけない。

<きよすえ・あいさ> 1972年生まれ。室蘭工業大大学院工学研究科准教授。専門は家族法、憲法。アフガニスタンの女性や難民支援に取り組む。2002年にパレスチナで非暴力の抵抗運動に参加し、デモ参加中にイスラエル軍の発砲で脚に負傷した。

「南郡兵士像撤去 トランプ氏異議」

本日の東京新聞夕刊に、トランプ米大統領が17日、南北戦争で奴隷制継続を主張した南軍兵士らの記念像などを撤去する動きが各地で広がっている現状について、ツイッターに「偉大なわが国の歴史と文化が引き裂かれるのは悲しい」と書き込んだとの記事が載っていた。

トランプ氏は投稿で「歴史は変えられないが、そこから学ぶことはできる」と主張し、南軍司令官ロバート・リー将軍などの記念像撤去を例示しつつ、「次は誰か。ワシントンか。本当に馬鹿げている」と批判し、「都市や街、公園からこうした美観が取り除かれれば、大変寂しいし、二度と元に戻せないだろう」と述べている。

確かに、トランプ氏が「歴史から学ぶことができる」というのは正しい。アウシュビッツの強制収容所や原爆ドームなどの「負の文化遺産」は、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとすることに意味がある。しかし、それは戦争や人種差別が政府見解によって正式に否定され、国民の歴史教育の中でも公式に否定されていることが大前提である。政府や歴史教育において、その評価を曖昧にしたまま負の遺産を残すことは、百害あって一利なしだと考える。

「読書離れ」

本日の東京新聞夕刊で、阿刀田高が、スマホなどのIT機器の普及で活字離れが一層酷くなったと嘆いている。作家ならではの読書を通じた知的活動の意義だけでなく、「活字業界」そのもの衰退に警鐘を鳴らしている。

 たとえば…スマホでも読書はできる。しかし、これで今までのような読書をする人は少ないし、情報を簡単に、広く、安く入手できることは確かであるけれど(その価値はけっして小さくないけれど)古い読書は、苦労して情報を手に入れるぶんだけ優れた情報への敬意を生み、それを示してくれた人への尊敬も培われる。読書にはこの効能が思いのほか大切なのだ。

ニュース情報も簡単に手に入り、これは時には命を賭けてまでその情報をつかみ報道してくれたジャーナリストへの思慕をないがしろにしてしまう。新聞は売れなくなり、新聞社は優秀なジャーナリストを育てられなくなる。今、日本ではフリーのジャーナリストがいろいろなところでよい仕事をしているが、彼のほとんどが新聞社で修行した人なのだ。新聞の衰退はよきジャーナリストを失う可能性を高くするだろう。

出版界も同様で、これまでは優れた出版社が卓越した編集者を作り、それが世界に冠たる良書の普及を支えてきたのだ。IT機器の普及はよき編集者の誕生を弱体化させ、古典はともかく新しい良書を市場に送りにくくするだろう。しかし私たちは否応なしにそんな曲がり角に立たされているのだ。

「地上型イージス導入へ」

本日の東京新聞夕刊に、防衛省が海上自衛隊のイージス艦搭載の迎撃ミサイルを地上配備する「イージス・アショア」の導入を決め、2018年度予算の概算要求に設計費を盛り込むとの記事が載っていた。当初は導入に向けた調査費を計上する方針だったが、北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイル発射に対処するために前倒しした。

記事だけを読むと、調査をすっ飛ばして導入が決定されたと読み取れるが、あまりにご都合主義ではなかろうか。そもそも日本近海に配備されている迎撃ミサイルの対応能力すら試されないままに、防衛能力の向上が不可欠との判断で、地上にも導入するというのは如何なものだろうか。省内でも「北朝鮮の脅威」に誰も反対できない雰囲気のまま押し通されたのだろうか。それともトランプの圧力?

また、今回の概算要求には、自衛隊初の宇宙部隊の創設が盛り込まれている。日米が全世界を監視する体制構築を目指すために、日米が使用する人工衛星を対衛星兵器などから守る部隊を作るというのだ。しかし、成層圏の遥か先に浮かぶ衛星を守ることが「自衛」隊の管轄領域なのだろうか。2015年に策定された「日米防衛協力のための指針」には、「自衛隊及び米軍は、日本の上空及び周辺空域を防衛するため、共同作戦を実施する」との定めはあるが、宇宙は想定の範囲外である。また、「日米両政府は、適切な場合に、通信電子能力の効果的な活用を確保するため、相互に支援する」ともあるが、衛星の防衛がこれに該当するのであろうか。宇宙に浮かぶものは全て通信能力を備えており、さらに国境もないため、宇宙そのものを米国が支配し、日本がそれにスネ夫のように追従する形になるのか。
テレビで「核の脅威」が盛んに煽られるが、その一方でひっそりと行われる政治に注意を払いたい。