社事大」カテゴリーアーカイブ

〈障害者福祉論2〉

 わが国における障害者雇用施策の基本となる法律は1960年に制定された身体障害者雇用促進法である。その後,障害者雇用が努力義務から法的義務へと強化され,知的障害者や精神障害者にまで対象を拡大することなどが盛り込まれた。1992年には雇用の促進に加え,雇用の安定を図ること及び職業リハビリテーション対策の推進を内容とする「障害者の雇用の促進等に関する法律」に変更された。2006年にはIT関係などの在宅就業障害者や在宅就業支援団体に対する給付も始まっている。現在の法定雇用率は,数度の改正を経て,常用雇用労働者数が56人以上の民間企業は1.8%,国及び地方公共団体・特殊法人2.1%となっている。また,雇用率の計算にあたっては重度の障害者については1人を2人分とするなど,重度の障害者の雇用をも進めている。

 しかし,障害者の実際の雇用状況については,ここ30年間で大きく向上したものの,法定雇用率をなお0.32ポイント下回っている。障害者の法定雇用未達の事業主は不足分1人につき,月額5万円が徴収されているが,常用雇用労働者数が300人以下の事業主は納付金が免除されており,大企業でも納付金を納めてしまった方が「お得」だと判断する事業主も多く,雇用率は頭打ちしている。私の住む埼玉県の民間企業では1.41%,さらに,従業員100人から299人規模の企業での障害者雇用率は1.1%となっており,いずれも全国平均を大きく下回っている。

 今後,障害者の雇用率を上げ,安定した雇用環境を作っていくには,養護学校との連携がますます重要になってくると考える。ここ20年,養護学校が量的に質的にも充実し,大半の障害者が養護学校高等部で学ぶ環境が作られてきた。しかし,現在教育現場と労働現場の人的交流はほとんどなく,学校側では卒業生を送り出した後のフォロー体制が未整備であり,一方,受け入れ先の労働現場でも白紙の状態で卒業生を受け入れざるを得ず,高等部まで積み上げてきた教育実践を生かしきれていない。

 埼玉県川口市で知的障害者を数多く受け入れている千代田技研という鋳造工場を経営する鈴木静子さんは,教育と労働の連携の未整備という状況を踏まえ,障害者の指導に当たる公的な専門員の制度を提案している。障害者の対応に長けている専門員が,養護学校在学時から卒業後一定期間,企業で障害者の教育,指導に当たってくれたら,ますます障害者を受け入れる企業が増えていくだろうと述べている。

 文科省は特別支援教育施策の中で,学校卒業後までの一貫した福祉や労働機関との連携のもとで,1人ひとりの教育的ニーズに応じた支援を行う「個別の教育支援計画」の作成をすすめている。現状では生徒個人にまつわる関係機関名が書き込まれた書類の作成に留まっているが,今後職業教育と雇用が一体となった体制が組まれることが期待される。

〈参考文献〉
鈴木静子『向日葵の若者たち:障害者の働く喜びが私たちの生きがい』本の泉社,1998

〈介護概論〉

 日本では介護を嫁や娘など家族に頼る傾向が戦後も長く続き,介護に従事する者を単なる家事手伝いのように捉える土壌が作られてしまった。1974年発行の「社会福祉辞典」によれば,介護とは「介助や身のまわりの世話をすること」とあり,その介護に当っては「家族がする場合と本人や家族を援護するための家庭奉仕員や施設職員などがする場合があり,特に疾病の独居老人の援護の場合,近隣の主婦などの『介護人』がその業務の従事者」とあり,家族もしくは家族に代わる者のみが介護に携わっていた当時の現状が伺われる。そして,核家族化・少子化が進展し,介護を他の組織や民間業者に委託するようになった現在でも,介護士を女中扱いしてしまう利用者も多い。

 しかし,デイサービスやグループホームなど家庭以外での様々な福祉サービスができ,四点杖や電動車椅子などの福祉機器が高度化していく中で,医療や看護との連携,介護に携わる者の専門性がますます問われるようになってきている。利用者の肌に直接触れて言葉を交わす介護士こそが利用者にもっとも身近な窓口である。介護士の専門性を周囲が認め,今後の介護サービスにおいては,介護士を中心とした組織の態様への変換が求められているといって過言ではない。

 そうした介護士の専門性の保障として,1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定された。その第1条では「介護福祉士の資格を定めて,その業務の適正を図り,もって社会福祉の増進に寄与することを目的とする」とその大枠を定め,第2条において「専門的知識及び技術をもって…介護を行い,ならびにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うことを業とする者」と定義づけた。介護に直接当るだけでなく,介護に関する教育・指導者としての役割も期待されている。さらに,信用失墜行為の禁止や秘密保持も盛り込まれ,資格保持者に対する信用を裏付けている。また,介護の具体的な場面においては,看護業務と介護業務が密接不可分であることを踏まえ,第48条で「その業務を行なうに当たっては,医師その他の医療関係者との連携を保たなければならない」と定め,医療福祉のチームワークにおける重要な要の役を担うこととなっている。

 厚生労働省は2006年7月,介護福祉士の資格取得の条件を厳しくする方針を決めた。国家試験を受けずに資格を取得できた介護専門学校の卒業生らも国家試験の合格を必須とし,実務経験後に試験を受け介護福祉士となる介護施設職員やホームヘルパーには試験の前に一定の教育を義務付ける制度に変更するということだ。

 国家試験を経て,専門的知識と技術を身に付けた介護福祉士の質的向上を図ることが,組織の中で介護職が自立するのに最も重要な要件であり,国家試験の厳格化は避けて通れないであろう。

〈参考文献〉
社会福祉専門職問題研究会『社会福祉士介護福祉士になるために』誠信書房,1994
藤原瑠美『残り火のいのち 在宅介護11年の記録』集英社新書,2002

社事大レポート

社事大の第3期のレポートを今日まとめ終えることができた。前回は締め切りぎりぎり午後11時半に郵便局に駆けつけたのだが、今回はゆとりをもって書き上げて提出することができた。第4期も早めに仕上げたいものだ。

〈法学〉再提出

 法律上の婚姻をした夫婦の間に生まれた子を嫡出子,法律上の婚姻届をしていない男女の間に生まれた子を非嫡出子という。憲法14条において法の下の平等が定められているにも関わらず,民法900条4号但書前段では,非嫡出子の法定相続分につき、嫡出子の2分の1として,嫡出でない子を差別している。これは明治民法1004条を踏襲したもので,本来は家制度の継承を狙いとしたものであった。

 この差別的法規定に対する反対の声は年を経るごとに大きくなり,1971年には法務省法制審議会では相続法が審議され、非嫡出子の相続分につき賛否両論を併記し、更に検討をするとの中間報告が公表された。次いで,1979年に日本が批准した国際人権規約のうちB規約第24条1項では、「すべての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的もしくは社会的出身、財産又は出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についてのすべての権利を有する」と明確に規定されている。

 1995年7月に最高裁において,民法900条4号の但書前段の合憲性に対する判決が下された。多数意見は「法の下の平等に関する憲法14条1項は,合理的理由のない差別を禁止する趣旨である」「法律婚主義のもとで嫡出子を尊重するとともに,認知された非嫡出子にも配慮して相続分を認め,法律婚主義の尊重と認知された非嫡出子の保護のバランスを調整したもので,合理的な根拠がある」として合憲とした。但し,15人の裁判官中,5人が反対意見を述べ,賛成意見中4人の裁判官が立法による解決が望ましいとする補足意見を述べ,裁判官の間でも意見は分かれた。

 反対意見としては「多数意見は認知された非嫡出子が婚姻家族に含まれないという属性を重視し,そこに区別の根拠を求めるものであって,相続において個人の尊厳を立法上の原則とする憲法24条2項の趣旨に反する」「出生について責任がなく,その意志や努力によって変えることのできない非嫡出子という身分を理由に法律上差別することは,法律婚主義の尊重という立法目的の枠を超えている」「非嫡出子を嫡出子よりも劣るとする観念が社会的に受容される素地をつくる重要な要因であって,今日の社会状況に適合せず合理性がない」などの主張がなされた。

 私は民法900条4号但書前段は違憲だと考える。94年に日本も批准した子どもの権利条約では子どもの社会的出身や出生によるあらゆる種類の差別を禁止しており,この条約に抵触する民法900条4号但書の早急な改正が求められる。現民法の規定は一夫一婦制の法律婚主義を保護し,子どものは親の専有物であるかのような古い家族観を前提としている。子どもに生まれながらに格付けを与えることは,シングルマザーや事実婚などの新しい家族像を社会が受け入れるにあたって大きな阻害要因となる。

参考文献

1995年7月5日最高裁判決 判例タイムズ885号83頁
2003年3月28日最高裁判決 判例時報1820号62頁
2004年10月14日最高裁判決 判例時報1884号40頁 法学教室2004年12月291号136頁
東京弁護士会意見書「非嫡出子の相続分差別撤廃に関する意見書—民法900条4号但書改正案—」1991年3月7日

〈社会福祉援助技術演習3〉

 アイマスクウォークとインスタントシニアの2つの障害疑似体験を通して改めて障害者や高齢者と同じ視点に立つことの難しさを知った。言い換えれば,私たちがいかに日常生活のほぼ全てを視覚や聴覚だけに頼って行動していたかという実態が見えてきた。アイマスクウォークでは,前後左右も分からないのに,支援者より「あと○○cm」「もう少し左」と声を掛けられて困惑するだけであった。また,インスタントシニアでは視野狭窄により自分の目で自分の足元すら確かめることができずに立ちすくんでしまった。

 しかし,そのような五里霧中の状況の中で触覚の確かさを実感した。コピー機に触れてみると,液晶の操作パネルは何が表示されているのか皆目検討がつかないが,スタートボタンや数字キーはボタンの中心が窪んでいたりポッチがついていたりしてすぐに扱うことができた。また,トイレや階段では手すりの曲がり具合で周囲の位置を把握することができた。さらに,屋外に出ると足元の地面の形状で立っている場所が分かり,また,皮膚感覚を通して太陽の位置や風の吹く向きなどが分かり,前後左右の方向感覚をもつことができた。

 確かに,人間の得る情報の9割は視聴覚に依拠しており,視聴覚は瞬時に多様な情報を分析することができるが,残りの1割に過ぎない触覚や嗅覚,味覚をフル活用することで,これまでとは違った世界が広がっていくことを実感できた。シニアウォークで感じたことだが,自由が利かない体ゆえに,腰に重心を乗せて顎を引き,体幹部を真っ直ぐにして正しい歩行姿勢を意識するようになった。また,視覚が制限されることで周囲の人の声色や息遣いがリアルに伝わってきた。

 私たちは障害者や高齢者を身体の機能が健常者よりも劣った存在であるとの前提で支援をしがちである。しかし,手足の指先感覚や視聴覚にのみ依拠している私たちよりも,障害者や健常者のほうが実は体機能をうまく使えているのではないだろうか。支援の側に回る私たちこそが触覚や体全体のバランスなどに日常気付きにくい感覚に敏感になり,支援される側の感覚を共有することが,今後の福祉援助技術に求められる。

 京都大学霊長類研究所教授の正高氏は,障害者と健常者のありかたを次のように述べる。
「今日では唯一,個性的な身体とのつき合いができているのが,実に障害者と呼ばれる人々なのである。健常者が身体を画一的に用いて,浅薄に生活しているのに対して,障害者の方が個々人の背負っている障害の質が,各々個性的な分,健常者では埋もれてしまっている可能性を,個性的に活用して生きているように思えてならないのだ。障害者が健常者よりも劣っているなど,とんでもない誤った考え方といえるだろう。障害を持つ人に生き方を学ぶ,障害者学というものが何より求められている。」

 参考文献
 正高信男『赤ちゃん誕生の科学』 PHP新書,1997