〈社会福祉援助技術演習3〉

 アイマスクウォークとインスタントシニアの2つの障害疑似体験を通して改めて障害者や高齢者と同じ視点に立つことの難しさを知った。言い換えれば,私たちがいかに日常生活のほぼ全てを視覚や聴覚だけに頼って行動していたかという実態が見えてきた。アイマスクウォークでは,前後左右も分からないのに,支援者より「あと○○cm」「もう少し左」と声を掛けられて困惑するだけであった。また,インスタントシニアでは視野狭窄により自分の目で自分の足元すら確かめることができずに立ちすくんでしまった。

 しかし,そのような五里霧中の状況の中で触覚の確かさを実感した。コピー機に触れてみると,液晶の操作パネルは何が表示されているのか皆目検討がつかないが,スタートボタンや数字キーはボタンの中心が窪んでいたりポッチがついていたりしてすぐに扱うことができた。また,トイレや階段では手すりの曲がり具合で周囲の位置を把握することができた。さらに,屋外に出ると足元の地面の形状で立っている場所が分かり,また,皮膚感覚を通して太陽の位置や風の吹く向きなどが分かり,前後左右の方向感覚をもつことができた。

 確かに,人間の得る情報の9割は視聴覚に依拠しており,視聴覚は瞬時に多様な情報を分析することができるが,残りの1割に過ぎない触覚や嗅覚,味覚をフル活用することで,これまでとは違った世界が広がっていくことを実感できた。シニアウォークで感じたことだが,自由が利かない体ゆえに,腰に重心を乗せて顎を引き,体幹部を真っ直ぐにして正しい歩行姿勢を意識するようになった。また,視覚が制限されることで周囲の人の声色や息遣いがリアルに伝わってきた。

 私たちは障害者や高齢者を身体の機能が健常者よりも劣った存在であるとの前提で支援をしがちである。しかし,手足の指先感覚や視聴覚にのみ依拠している私たちよりも,障害者や健常者のほうが実は体機能をうまく使えているのではないだろうか。支援の側に回る私たちこそが触覚や体全体のバランスなどに日常気付きにくい感覚に敏感になり,支援される側の感覚を共有することが,今後の福祉援助技術に求められる。

 京都大学霊長類研究所教授の正高氏は,障害者と健常者のありかたを次のように述べる。
「今日では唯一,個性的な身体とのつき合いができているのが,実に障害者と呼ばれる人々なのである。健常者が身体を画一的に用いて,浅薄に生活しているのに対して,障害者の方が個々人の背負っている障害の質が,各々個性的な分,健常者では埋もれてしまっている可能性を,個性的に活用して生きているように思えてならないのだ。障害者が健常者よりも劣っているなど,とんでもない誤った考え方といえるだろう。障害を持つ人に生き方を学ぶ,障害者学というものが何より求められている。」

 参考文献
 正高信男『赤ちゃん誕生の科学』 PHP新書,1997

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