『土壇場の人間学』

青木雄二・宮崎学『土壇場の人間学』(幻冬社文庫 1999)を読む。
言わずと知れた両者であるが、どちらも積極的に評価は出来ない。宮崎氏には自身の経験に根ざした鬱屈した左翼観が残っており、門外漢には意味不明な共産党に対する批判意識が強い。結局彼がどのような社会像を想定しているのか読者には素直に伝わらない。その点では青木雄二氏の方が言説は分かりやすい。彼は物事のそもそもの捉え方として「唯物論」を強調する。「唯物論」について「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する」とおそらくは『ドイツイデオロギー』から正しく引用しているのだが、共産主義になれば全てが救われ、日本も唯物史観に従って共産主義にならざるを得ないと、マルクスやエンゲルスを神のような存在に祭りあげているのが気になった。読売グループや自由民主党をこの世を破壊する悪魔と位置づけた、「マルクス教」や「エンゲルス教」の信者といった趣だ。

そもそも日本では70年代以降、中流意識のまん延により、学生もサラリーマンも公務員も主婦も、「社会的存在が意識を規定する」といっても自らの「社会的存在」そのものが見えてこない。「お前は誰なんだ?」と問われた時に「賃金労働者」なり「労働者予備軍」と答える者が何人いるだろうか。上段な共産主義をふりかざすよりも、身近な自己分析から始めたい。

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