「初期雇用契約」『ルポ解雇』

ここ数日フランスで、若者雇用促進政策「初期雇用契約」に対する学生の抗議が続いている。ソルボンヌ大学などの学生のデモも1968年のスチューデントパワーの再来のように激しいものとなっている。日本でもここ数年で劇的に正規労働者が減る一方で、パートや派遣などの非正規労働者が増加し、所得の格差がアメリカ並に拡大し、優勝劣敗の社会に変貌しようとしている。健常者すら正規採用は狭き門になっているのに、ましてやいわんや障害者をや。しかし、パリでの労働に対する熱い闘いも、マスコミの報道に接する限り日本では対岸の火事である。どうしてなのだろうか。

Paris200603

そこで、島本慈子『ルポ解雇:この国でいま起こっていること』(岩波新書 2003)を読んでみた。
島本さんは労働基準法改正案や労働裁判の過程を具に検証する中で、解雇理由の立証が経営サイドに有利に進められ、復職に向けたフォローもない現在の労働裁判の実態を明らかにする。労働は人間性の基盤そのものであり、商品でない。司法の独立により身分保障された職業裁判官に非正規雇用労働者の苦しみがどれだけ実感として分かってもらえるだろうか。
島本さんは雇用の流動化が日本社会の様相を大きく悪い方向に変えてしまうと危惧する。そして次の言葉で論をまとめている。規制改革の号令の下で雇用の保障すらも撤廃し、リストラを敢行した企業が株式ゲーム市場で評価され、一部の成功者だけを持ち上げるマスコミを巧みに操作する小泉政権に対する鋭い警鐘が含まれている。

(全日空の子会社の下請け企業で、従業員が一斉に解雇された)関西航業の人たちの言葉で心から離れない一言がある。
「身分は下であっても、一人に人間として生きる権利は同じではないか」
この叫びを踏みにじる方向へ、この国は動いている。「労働者が多様な働き方を選択できる可能性を拡大」というスローガンのもとに、企業にとって利用しやすい雇用形態が作られ、「働き方」に応じた労働条件を確保するという文句で、下に位置する者への不当な扱いも公認されていく。いま作られようとしているのは「身分によって生きる権利が変わる」社会であり、「職業には貴賎がある」という思想を公然と語る差別社会である。

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