『当たり前のことができる人、できない人』

松永一雄『当たり前のことができる人、できない人』(文香社 1998)を読む。
日立製作所、日立ソフトウェアにおいて教育部門を担当していた著者が、ビジネスにおける身の振る舞い方について、「飲む」「打つ」「買う」から始まって、「貯める」「休む」「辞める」などの社会人としての最低限のルール、さらに「報告する」「討議する」「確認する」など会社内におけるイロハまで、懇切丁寧にアドバイスを述べる。
他の人との積極的な関わりを避けるドライ人間関係と責任をうやむやにする「なあなあ」の職務関係に包まれた独特な雰囲気漂う日本の会社組織におけるあるべきビジネスマナーを説く。この手の本にありがちな高所からの道徳論ではなく、ビジネスマンとして失敗を重ねてきた著者ならではの経験に裏付けられた「使える」助言が満載である。

読み進めながら、次の一節が印象に残った。困難な仕事を困難なまま抱えるのではなく、誰でも取り組めるように「ルーティンワーク化」、「標準化」することが「できる」ビジネスマンの心得だというのだ。私自身、このような仕事分担が苦手で過去多々失敗してきたことを苦々しく思い出した次第である。

よりよい仕事をするためには、大いに休もう。ただし、休むには資格がいる。何事によらず資格のない者が権利だけをふりまわすと、周囲に迷惑という現象が起きる。人に迷惑をかけていては、よい仕事はできない。
その資格とは、「自分が不在でも、仕事がすすめられるシカケをつくっておくこと」に尽きる。ファイルや資料、他部門ないしは顧客との約束などが、他の人でも代行できるよう、何がどこにあり、いつ何を行なわなければならないか、等々をわかるようにしておくことなのだ。
本人がいないと仕事が動かないというのは、決して君の重要性を意味してはいない。それは業務の私物化であり、組織にとってはマイナスである。
組織の中で「できる」といわれる人は、自分の仕事は下に任せられるようにシカケをつくったうえで、上位の仕事に目を向けているものである。

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