『世界を知る力』

寺島実郎『世界を知る力』(PHP新書 2010)を読む。
三井物産戦略研究所会長や多摩大学学長を歴任した著者が,改めて国際政治や世界情勢を正しく分析することの意義を説く。著者は世界を知るということについて次のように述べる。

 広島の原爆死没者慰霊碑に,「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」という有名な文言がある。わたしは,あの碑ほど日本人の知性の壁を示しているものはないと思う。というのも,誰の誰に対する「過ち」なのか,どういう文脈での「過ち」なのかが,いっさい見えないからだ。これでは,「とりあえず戦争という過ちは繰り返さないということで」というあいまいな話になってしまっている。
わたしたちは,たとえ面倒でも,精神的に苦しくても,「過ち」に含まれるすべての過ち,すなわち,原爆をつくって科学者の過ち,投下する決断を下したアメリカの政治世界の過ち,さらには,それを促してしまった日本側の過ち,こういったものを全部体系化して描ききらないと行けないのではないだろうか。そして,それこそが,「世界を知る」ことなのだと思う。
「世界を知る」とは,断片的だった知識が,さまざまな相関を見出すことによってスパークして結びつき,全体的な知性へと変化していく過程を指すのではないだろうか。

また,著者が「知の巨人」と敬愛する加藤周一氏との対談を経て,著者は次のように述べる。

 わたしたちは,「世界を知る」という言葉を耳にすると,とかく「教養を高めて世界を見渡す」といった理解に走りがちである。しかし,そのような態度で身につけた教養など何も役に立ちはしない。世界を知れば知るほど,世界が不条理に満ちていることが見えてくるはずだ。その不条理に対する怒り,問題意識が,戦慄するがごとく胸に込み上げてくるようでなければ,人間としての知とは呼べない。たんなる知識はコンピュータにでも詰め込んでおけばいい。

世界の不条理に目を向け,それを解説するのではなく,行動することで問題の解決にいたろうとする。そういう情念をもって世界に向き合うのでなければ,世界を知っても何の意味もないのである。

ただ試験のためだけに知識を詰め込んだところで,本当の力となる教養にはならない。国の審議委員や大学の学長を務めながらも,世界に対する若さを保っている著者はすごいと思う。

その他,ウクライナ人が白系ロシア人と呼ばれた経緯や,七福神の乗る宝船が仏教,ヒンドゥー教,道教が呉越同舟する話など,興味深かった。特に「ユニオンジャックの矢」と呼ばれるイギリス外交の話は,今後の世界情勢を知るための「公式」になりそうな内容だった。