『世界を変えた作物』

藤巻宏・鵜飼保雄『世界を変えた作物』(培風館 1985)を読む。

共に農林水産省で品種改良の研究に携わっている技官であり、稲や小麦など世界の発展に大きく寄与した作物の改良の歴史について、技術的側面からだけでなく、歴史的社会的な側面から丁寧に解説を加えている。

イネは温暖湿潤なモンスーン気候のアジアを中心に栽培される。さらにイネは比較的冷温に耐え、玄米が丸く、炊いた米が強い粘り気を持つジャポニカ米と、低温に弱く、玄米が細長く、米に粘り気がないインディカ米に分類される。緑の革命ではインディカ米を中心に研究が進み、ジャポニカ米との遺伝子交配を繰り返すことで「奇跡のイネ」と呼ばれるまでになった。

コムギは冷涼乾燥な気候を好み、特にヨーロッパを中心に栽培されてきた。しかし、20世紀前半までのコムギは人の背丈よりも高く、収穫量も決して多いものではなかった。20世紀後半に入って、埼玉県鴻巣市におかれた農業試験場で改良された、背丈の低い収穫量の多い「農林10号」が世界隈なく広がっていき、世界第1位の生産量を占めるまでになった。

トウモロコシは温暖乾燥気候に適し、長い間アメリカ大陸の文明の発展に貢献した作物である。トウモロコシの品種はいくつかの群に分けられるが、その遺伝的系統はまだはっきりとは分かっていない。また、ジャガイモもインディアン社会で生まれ、育まれてきた。当初ヨーロッパでは悪魔の食物などと評判が悪かったが、栽培に手がかからず、90~120日の短期間で収穫でき、収穫後の面倒な加工調整もいらずそのまま食べられ、栄養価も高いということでアイルランドを中心に徐々に広まっていった。

その他、大豆や甜菜(テンサイ)、ライ麦、トマト、キャベツ、シイタケ、冷涼な気候で育つイネなどについて、品種改良の歴史が説明されている。品種改良の功罪について著者は次のように述べる。

 品種改良と遺伝資源の保存は、ある意味では矛盾している。すぐれた品種が育成されると、すぐれているがゆえに在来の多くの品種におきかわり、広い地域で栽培されるようになる。栽培されなくなった品種は、ほうっておけば失われ、二度ととりもどすことができない。品種改良が進むほど、このようにして現存の品種の画一化が進み、遺伝資源の幅はますます狭くなり、すぐれた品種を生み出すための素材そのものが枯渇してゆく。アメリカのトウモロコシの71%は、わずか6品種で占められている。画一化は、ソルガム、ミレット、テンサイ、タマネギ、コムギにも広がっている。(中略)作物の原産地における都市化や工業化が、野生種や半野生の祖先種の居場所をさらに絶ってゆく。エジプトのアスワンダムの建設は、多くの村を立ちのかせ、アフリカ原産の牧草の遺伝資源を水底に沈めた。空港や高速道路の建設によって失われてゆく資源も多い。(中略)今やその遺伝資源の源そのものがかれはじめている。気づくのが遅かったのかもしれない。長期保存施設を建てて、何十万点、何百万点の系統を保存しても、それは自然界がたくわえてきた遺伝変異にくらべれば、海辺にいって一杯の水をすくい、海を保存しようとすることに似ている。

最後に著者は次のように述べる。

現在の私たちの食卓にのぼる食品の材料となる作物は、穀類、野菜、果物のどれをとっても、長い歴史のあいだに改良されてきたものばかりである。これらは近代遺伝学が興った今世紀になってから大きな改良が加えられただけでなく、人類による農耕開始以前の長い植物進化の過程で自然が生んだ変異のうえに、栽培にともなう意識的または無意識的な人手による選抜が加えられて改良されてきた。現在の栽培作物は、100年たらずの科学的改良よりも、数千年以上にわたる栽培のあいだに生じた変異による改良のほうがまだ大きい。