本日の東京新聞朝刊で、山口二郎法政大学教授が、戦前軍部を恐れず戦争と独裁に反対した石橋湛山が源流とされる「リベラル」の意味について大変上手くまとめている。学生時代に友人の「新党護憲リベラル」の「リベラル」は自由主義を表す言葉なのでおかしいという話が今だに頭の片隅に残っており、私もずっと混乱していたので憑き物が落ちたようにすっきりとした。
この(リベラルという)言葉が生まれたヨーロッパでは、個人の自由、特に経済的自由を尊重するという意味で使われたが、20世紀アメリカでは民主党の進歩派が、あらゆる人間に人間らしく生きる権利を保障するという観点から、人種や性別による差別を許さないルールを確立し、貧困層に対しても生きる権利を保障するために政府が積極的に政策を展開するという意味で、リベラルの意味を転換した。
立憲民主党が追求するリベラルは、日本における伝統的なリベラルに、社会的な平等や公正を志向するアメリカのリベラルを加味したものだ。今の日本に必要な選択肢である。