『大学のウソ』

山内太地『大学のウソ:偏差値60以上の大学はいらない』(角川oneテーマ21 2013)を読む。
日本の大学教育が欧米のみならず、アジア各国の大学から大きく遅れを取っており、のっぴきならない状況にまで来ていることに警鐘を発する。米国のエリート大学やフィリピンなどのアジアの一流大学では全寮制が基本となっており、ハードとソフトの両面で学生と教員のコミュニケーションを密にする仕組みがあり、その中で学生を徹底して鍛え上げている。著者は、大学の質を決める重要な要素は教員一人当たりの学生数にあると断じ、相も変わらずマスプロ教育を繰り返している早慶やMARCH、関関同立といった日本の偏差値60以上の私立大学に根本的な大学改革を促している。また、欧米の大学の教員学生比率と比べて遜色のない国公立大学に対しても、教育内容の改善を指摘する。
最後に著者は次のように指摘する。

 私たちが教育改革を論じるとき、常に考えておかないといけないのは、教育に過剰に崇高な理念を持たせるべきではないということです。
 明治以降の日本の教育は国民国家にふさわしい人材育成だったのですから、今に至るまで基本は「富国強兵」です。さすがに戦争はもうしないでしょうが、現代の強兵がグローバル人材であることは明白です。そうした中で、今、経済的に勝ち残れる人間を作るために、世界中の教育が動いています。日本も同じです。
 一言でいえば「多国籍企業で勝ち残れる人材」です。
 国や経済産業省や経済界が口を出し、文部科学省や教育委員会が追随しているのは、この「経済的に勝てる人間を作る」という大目標です。それが悪いと言ったところで、誰もが離島や山間部でスローライフはできないように、あるいはリーマンショックでも大震災でも止まらなかったように競争は止められないのです。こうした現実の中に、私たちがいることは認識しておくべきです。
 (中略)何が正しいのか、正しくないのか、自分はどう進むべきなのかは、もはや国家に目標をもらって国民一丸となってまい進するのではなく、個人が自分で考える必要があります。そしてその力は、多くの日本人には教育によって身に付いていません。自分の頭で考える工業製品は存在しないのです。
 何度も繰り返しますが、一部の自分の頭で考えられる人間はグローバル化で勝ち組になれますが、ほとんどの日本人は今よりも貧しくなっていくと思います。それを救うのは「正しい教育」なのです。

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