石原千秋『未来形の読書術』(ちくまプリマー新書 2007)を読む。
ちょうど石原氏の受験国語の新書を読み直す機会があり、参考のために手に取ってみた。
読書のあり方に始まり、小説の定義や読み方、小説とエッセーの本質的な違いなどが述べられる。大学の文学論の講義を聞いているようで、読むだけで賢くなったような気がしてきた。
著者は「本」について次のように述べる。
本には何かはよくわからないが、そして実際に読んでもわからないかもしれないのに、自分が知らなければならないこと、わかっておかなければならないことが書いてあると、あなたは思っているはずだ。本は自分を映す鏡だと考えれば、それはこうありたいと願っている未来形の自分ということになる。つまり、いまよりは成長した自分である。
そういうあなたが読む限り、本はいつも新しい。現実には、未来に書かれた本はない。本はいつも過去に書かれている。当たり前の話である。しかし、本の中に未来形の自分を捜したいと願う人がいる限り、本はいつも未来からやってくる。そのとき、本には未知の内容が書かれてあって、そこにはこうありたい自分が映し出されている。これは、理想の自己発見のための読書、未来形の読書と呼べそうだ。古典を新しいと感じることがあるのは、そのためなのだ。本はそれを読む人の鏡なのだから、その人が読みたいように変えるのである。