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『アフリカ・レポート』

松本仁一『アフリカ・レポート:壊れる国,生きる人々』(岩波新書 2008)を読む。タイトルの通り,朝日新聞の海外支局長を努めていた著者が,アフリカの政府の腐敗や部族が優先される社会システム,民間の企業から国を支えようとする試みを丁寧に語る。
前半では,ジンバブエや南アフリカ,スーダンなど,独立時には素晴らしい農業システムや資源がたくさんあった国で,独立解放の先頭に立ってきた政府が植民地支配と変わらない汚職にまみれている現状が報告される。

 指導者が「敵」をつくり出すことで自分への不満をすりかえる。アフリカではよく見られる構図だ。それは国内への対立を激化させることであり,国家的統一とは逆の方向に国民を駆り立てる。へたをすると国の将来が崩壊してしまう危険さえある。しかし権力者は将来のことなど考えていない。目の前の責任を回避し,権力の延命を図る。それだけなのだ。ルワンダの大統領もジンバブエの経済崩壊も,まさにそうして起きた。

また,ナイジェリアやスダーンなどの部族対立が続く

 植民地時代の国境線は,地理や自然,住民の構成に関係なく,宗主国同士の力関係で引かれた。そのため国境線の中には,多くの部族が取り込まれた。住民にとっては,イギリスやフランスがつくったそんな「国家」に関心はなく,帰属意識など持っていない。彼らが伝統的に帰属感を持ち,よりどころとしてきたのは,部族共同体なのである。
「植民地政府と闘う」という共通の大きな使命感がある間は,部族対立はその下に隠れ,表に現れることはなかった。しかし使命が達成されてしまうと,部族の利害がもろに表面化する。国家の財産をくすねて部族のために使うのは,むしろ褒められることでさえある。 (中略)わいろをとっても,部族の者の面倒を見ることの方が大切だという文化は,まだアフリカに根強い。

後半では,アフリカに食い込んでくる中国人の阿漕な商売や,ケニアやウガンダ,セネガルでの市民の自立を目指した起業が紹介される。
展開が面白く,一気に読み進めてしまった。編集サイドの工夫であろうか,新書の魅力を改めて感じた。

『ごく普通の在日韓国人』

姜信子『ごく普通の在日韓国人』(朝日文庫 1990)を読む。
単行本は今から30年以上前,1987年に刊行されている。著者は祖父母が日本に渡ってきた在日3世である。日本に生まれ,日本の学校教育で育ち,日本の企業に就職している。外国人登録証こそ持っているものの,祖父母の出身地である遠い韓国よりも,生まれ育った日本を母国と感じる在日3世の微妙な立ち位置を自分の言葉で語っている。著者は高校まで親や学校側の「配慮」により「竹田存子」という通称名で通っている。著者は本名を名乗れないことに違和感をずっと感じていた。一方,本名の朝鮮語読みである「カン・シンジャ」という名前にも慣れないと本音を語る。日本語読みである「キョウ・ノブコ」こそが自分にぴったりであると言う。在日朝鮮人とは違って,アイデンティティを朝鮮半島に求めづらい在日韓国人という存在を語ることは難しい。著者は次のように語る。

(韓国の生活習慣や韓国語に慣れない)そんな自分を,韓国人でも日本人でもない「日本語人」だと,軽い気持ちで言ってみる事がある。これは,三歳にもなる娘が日本人と言うところを間違えて「ナッチャンは日本語人よ」と言った言葉をいただいたものだ。どんなに意味を抜こうとしても,変に意味が込められてしまう「在日韓国人」よりも,「日本語人」というほうが,身も心も軽くなるような気がするのだ。

そして,最後に著者は次の言葉で締めくくる。

 あなたは差別する心を持つ弱い人間。そのことをまっすぐに見つめてほしい。どうすれば差別する心に振り回されずにいられるのか,それを考えてほしい。

『もっと知ろう朝鮮』

尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書 2001)を読み返す。
確か,レポートをまとめるために刊行当時に購入したものだったと思う。
朝鮮の近現代史を中心に,日清戦争や韓国併合,朝鮮戦争における日本政府の責任について論じられている。
高麗の英語読みからKorea,高句麗に由来する高麗神社や狛犬,百済に由来する白木神社や白山神社などのエピソードが面白かった。
尹氏は「朝鮮」という名称と「韓国」という名称が混在していることを鋭く指摘する。本来は同じ国名を持つ1つの国なのに,名称によって日本人の意識の中に分断した国家を植え付けてしまうのではないかと著者は危惧する。

『「超」速読勉強法』

椋木修三『「超」速読勉強法』(成美文庫 2010)を読む。
視線の動かし方による速読のノウハウと記憶のメカニズムによる効率的な学習方法が紹介されている。あまり目新しい内容はなかったが,著者の主張する「能動的読書」が興味深かった。「能動的読書」とは,「この本の内容はこうだ」とタイトルや目次などから自分で内容を先読み,先取りする読み方である。最初に本の内容を想像し,それが合っていたかどうかを確認するために読むという方法である。自分の予想が当たったかどうかギャンブルにも似たわくわく感があり,予想が当たってても外れても強く印象に残り,長期に記憶されるという。また,こうした先読み先取りの読書が生活や仕事にも生きてくると述べる。
さっそく,新書などで実践してみたい。

娘の発表会

娘の吹奏楽の発表会に出かけた。家ではグズグズな娘が立派にブラスバンドのメンバーの一員となっていることに驚いた。