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『中大兄皇子伝』

黒岩重吾『中大兄皇子伝』(講談社 2001)上下巻を読む。
史実に忠実に構成されており、読み応え十分であった。
中大兄皇子というと、中臣鎌足と組んで蘇我蝦夷・入鹿父子を倒し、大化の改新を成し遂げた人物として知られる。しかし、あまり細かいことは分からず、中央集権国家体制を構築しようと試み、弟の大海人皇子と子の大友皇子が壬申の乱で対立したという知識のレベルで留まっていた。

黒岩氏の解釈によると、中大兄皇子は高向玄理や僧旻、南淵請安らから中国や朝鮮の律令政治を学ぶことで、蘇我蝦夷や入鹿父子の豪族政治を廃し、天皇を中心とした官職制度を整備しようと奮闘する。しかし、公地公民という言うなれば共産主義に近い制度を導入しようと計画したために、守旧派の抵抗を生む。そのため改革に後ろ向きな勢力をどんどんと粛清していく。そして母親の皇極(斉明)天皇や叔父の孝徳天皇を傀儡として、皇太子という融通のきく立場で中臣鎌足と共に内政・外政にあたっていく。皇太子の時期が長く、天皇の位には3年間しか就いていない。また、外交は苦手で、いつか唐や新羅が攻めてくるかもしれないと、近江の大津宮に遷都する。一方、弟の大海人皇子は大らかな性格で新羅との交渉にも自信をもっとおり、戦争を敬遠したい官僚の支持を集めていく。そうした外交政策による違いが、天智天皇と大海人皇子の亀裂を生じさせる。

政治家にとって、官僚制度改革と外交が大きなハードルであるというのは当時も現在も変わらないものである。