月別アーカイブ: 2010年6月

『修羅の門:神武館の四鬼竜編』

川原正敏『修羅の門:神武館の四鬼竜編』(講談社 2006)を読む。
私が中学生か高校生の頃に流行った漫画で、懐かしく楽しむことができた。
80年代の少年漫画全盛時代を彷彿とさせる表紙のキャッチコピーが、漫画「北斗の拳」にワクワクした30代のおじさんにとっては心地よい。

千年不敗!
歴史の陰で受け継がれてきた幻の武術”陸奥圓明流”
その技を継ぐ者が表舞台へ姿を現す!

『アウトレイジ』

春日部のララガーデンへ、北野武監督・脚本・編集『アウトレイジ』(2010 ワーナーブラザース)を観に行った。
「親子」や「兄弟」といった暴力団同士の仁義の絆が崩壊し、本家を巻き込んだ抗争に発展していく過程を描く。また、暴力団と警察の裏の関係が蔓延っている現実も示す社会派映画になっている。
派手な暴力シーンや銃殺シーンが延々と続き、ストーリーも時間軸に沿って一直線上に展開していくため、観ているうちに段々慣れてしまい、後半は少し飽きてしまった。
10数年前に観た同監督作品の『ソナチネ』のようなわき上がるような恐怖感を感じることはなかった。

『私の奴隷になりなさい』

 サタミシュウ『私の奴隷になりなさい』(角川文庫 2005)を読む。
 作家名の「サタミシュウ」という人は、別名で数多くの小説を発表している覆面作家である。
 冒頭から「勃起」やら「自慰」などの単語がならび、角川文庫というよりはフランス書院文庫のようなどぎついSM小説であった。
 しかし、自分自身の判断や思考を停止し、自分の秘すべき羞恥心や性癖を露呈し、心身ともに他者に隷属する生活を送ることで、逆に人間らしい活力を得るのだという下りが物語の終章で語られる。読んでいる途中は単なるエロ小説であるが、読み終わった後は新書を読んだような感覚が残る不思議な作品である。

『爆笑問題の戦争論』

爆笑問題『爆笑問題の戦争論』(幻冬舎 2006)を読む。
あとがきでの太田光氏のコメントが印象に残ったので引用してみたい。全く自分自身の言葉で、戦争の是非はともかく、自分の過去を否定できないと同様に、戦争そのものの事実を否定できない自分の認識を語っている。太田氏のすごい所はあらゆる事柄について自分自身との距離感を瞬時に掴んでしまうことだ。

(漫才師が戦争を語ることについて)でも、最近では、それも仕方ないと思えるようになってきた。この時代、戦争をテーマに漫才をするということに、抗えない何かがあった。躊躇しながらもそれをやってみた。それだけである。

使命感なんていう大層なものではない。9・11同時多発テロの影響か、イラク戦争の影響か、何だかわからない。ただ、”テロとの戦争”という戦争は確かに もう始まっていて、だとすれば、今は戦時中ってことになって、この国もその戦争に参加している。とすれば、現在自分がいる場所は、戦場じゃないかと思った ということだ。
(中略)
戦争は確かに愚かな行為だし、それを引き起こした過去の人間は確かに愚かに見えるけれど、かといってその存在を否定できないってことだ。今生きている私 も、過去の人々と同じくらい愚かであることは事実だし、もしその時代に生まれていたら、その人々と同じように歴史の一コマとして戦争に参加する存在であっ た可能性が非常に高いからだ。

これは何十年後かの自分が、現在の自分を見てとても愚かであると感じるだろうけど、でも、決して否定できないであろうということと同じだ。過去の自分が生きたことの結果として現在の自分があるのだから、それを否定できるわけがない。