本日の東京新聞夕刊のコラム『放射線』に名古屋大学教授福井康雄氏のコラムが載っていた。「なるほど〜」と思いながら読んだ。
先日、高校の先生方と話す機会があった。学習指導要領改定などは、ほとんど教育の改善に効き目はないだろうとのことだった。なぜかと思ってさらにうかがうと、私にとっては新しい問題が見えてきた。
印象に残ったのは、高校生の「人の話を聞く力」が弱くなったという指摘である。先生がじかに語りかけないと、関心を示さない生徒が増えている。四十人前後の生徒に先生が一人で授業する形が、今限界にきている。この傾向は低学年から、確実に進行している。ゲーム機とのにらめっこが多くの時間を占める現実が、この背景にありそうだ。
大人が子供と会話し触れ合う、「接触面積」の広いしくみが必要である。少人数の家庭でできることには限界がある。教員の数を増やし、その質と動機を高め、学校での「接面」を広げることが、真剣に検討されるべきだろう。
教育予算を増やし、教える体制をしっかりと整えることを抜きに、教育はよみがえらない。ゆとり教育という理念も、それを支えるしくみを欠いていた。国際的に見た日本の教育の予算の貧弱さは、すでに何度も指摘されている。国内総生産(GDP)に対する教育予算の割合(3.5%)は、先進国中でほぼ最下位である。経済の恵みを教育に還元すべき時である。
「人の話を聞く力」が落ちているから、教育予算を増やし教員の数を増やせという単純な主張には与したくないが、「一対一であればきちんと大人の話が聞けるのに、集団の中に入ってしまうとまるで効く耳を持たない高校生が増えている」という現場からの指摘には頷かざるを得ない。筆者の言う少人数授業をただ展開すればよいというのは表面的な改善しか見られないであろう。大事なことは「耳」で人の話を聞くのではなく、「体全体」で「動き」や「流れ」の中で相手の話を受け止めるということであろう。工夫を凝らしてみたい。