滝田洋一『通貨を読む:ドル・円・ユーロ・元のゆくえ』(日経文庫 2004)を読む。
通貨の上げ下げについては、凡百のエコノミストがファンダメンタルズを基に見通しを語るが、外為法が改正されて一般投資家が24時間絶え間なく市場取引している以上、経済学者ケインズが「依拠しなければならない知識の基礎(経済的な分析結果)は極端に当てにならない」「ばば抜きゲーム」に過ぎない。滝田氏は外国為替市場は結局は美人ゲームであるが、美人ゲームを動かす長期的要因は分析可能であるとし、アメリカの金融政策やユーロ圏の政治状況、中国の経済政策を素人にも分かりやすく説明する。そうした主要通貨の中で特に日本円について警告を発している。日本政府は90年代の10年間を通して急激な円高を是正するために、円売りドル買いに走ったが、その結果買いためた米国ドルや米国国債に振り回されてしまっている。つまり米国政府の手先三寸で円高円安をコントロールされ、実質的な資産流出を招いている。
これ以上米国の思惑に振り回されないためにも、滝田氏は次のようなユーロを見習ったアジア経済圏−通貨圏の構築を提唱する。
通貨主権という言葉があり、通貨外交という言葉がある。われわれ日本人は、通貨こそはひとつの共同体を成り立たせる大切な絆だという事実を思い起こす必要がある。バブル崩壊後、不良債権処理という内向きな課題に追われてきた日本にとって、通貨の世界こそは「失われた十年」の最たるものだった。「預金封鎖」と題する書物が何種類も書店にうず高く積まれているという事実は、円という通貨の価値に自国民すら疑問を持っていることを意味すまいか。
長い目で見た日本の課題はハッキリしている。東アジア−中国−米国という経済交流が深まるなか、自らの比較優位を確保できる成長産業を発展させ、持続的な成長を果たすこと。欧州がECUという舞台でビジネスを競ったように、盾になるべきACU(Asian Currency Unit)という舞台で日本の金融が実力を発揮することだ。それは国民のお金を新たな成長機会に投じることにもつながる。円という通貨の未来図は、その延長線上に描かれるだろう。