夢枕獏『陰陽師:付喪神ノ巻』(文春文庫 2000)を読む。
夢枕氏による小説陰陽師の第三弾である。安倍晴明と源博雅コンビによる掛け合いもこなれたようで、読んでいて「安心感」のある作品に仕上がっている。
月別アーカイブ: 2007年5月
『渡り鳥 地球を行く』
長谷川博『渡り鳥 地球を行く:セキレイ・ハクチョウ・アホウドリ』(岩波ジュニア新書 1990)を読む。
アホウドリ研究の第一人者として知られる東邦大理学部の長谷川教授の研究に対する熱い思いが綴られている。専門書ではなく、長谷川氏の子供の頃からの動物に関する飽くなき関心が、大学に入ってからは渡り鳥の生態の研究につながり、やがて、渡り鳥を保護するための自然環境保護に目が向けられていく過程が平易な文で書かれている。自然保護について世界中で政治的・経済的に喧しい論議が展開されているが、それには子供時分からの動物や自然に対する素朴な興味が醸成されなければ根本的な解決には至らないだろう。
こっちはえんえん飛行機を乗り継いでここ(シベリア)まで来たわけですが、鳥たちは平気で、自分の飛ぶ力だけでそれをやっている。日本で冬のあいだしか見られなかった鳥が、繁殖地で見られたのには興奮しました。鳥たちの生きている世界の立体像への、イメージが広がる感じでした。
「なんとなく改憲?」
本日の東京新聞夕刊に、作家高村薫さんの「なんとなく改憲?」と題したコラムが載っていた。
憲法は国民が主権者であることを保証したものであるで、改憲の権利も国民全体が握っていると述べる。しかし、一票の格差を放置した上で、米国に突き動かされた一部の議員の勢力だけで安易に憲法を変えることができる今回の国民投票法のからくりを批判する。
憲法は私たちとともにあり、時代や社会とともにあるのだから、私たちが欲すれば、変えることはできる。しかし私たちには、いま憲法を変えるような理由があるか。アメリカと一心同体にならなければ困るような状況が、どこかにあるか。阿倍政権は、美しい国を連呼するだけで、国民のために憲法改正を急ぐべきことの合理的な説明をしていない。そういう政権にそもそも憲法をいじる資格はない。
『陰陽師:飛天ノ巻』
夢枕獏『陰陽師:飛天ノ巻』(文藝春秋 1985)を読む。陰陽師の超能力をメインにするのではなく、クールな源博雅、そして、その源博雅に魅かれる安倍晴明の人物像がうまく描かれている。
また、「徒歩(かち)」「狩衣(かりぎぬ)」「舎人(とねり)」などの重要古文単語も出てくるので、古文の勉強にも良い。