日別アーカイブ: 2003年3月18日

『盗まれた独立宣言』

ジェフリー・アーチャー『盗まれた独立宣言』(新潮文庫1993)を半分だけ読んだ。
前半、お互い面識もない登場人物のそれぞれの日常生活が断片的に語られる展開で始まるのだが、イギリス文学ならではの遠回しな文章表現に嫌気がさしてしまった。少々作者の言葉を端折ってでも、ヨーロッパ文学の訳出はシンプルにした方がいい。江國香織や片岡義男の文章が好きな向きはいいが、私文学の影響を強く受けている日本文学に慣れ親しんだ私たちには付帯状況たんまりの文章は読みにくい。

かつて私の敬愛する文学者中野重治氏は『日本語実用の面』(筑摩書房1976)の中でこのように述べている。

第二には、私は単純に書きたいと思つている。なるべく短い文章で書きたい。その点、このごろの新しい作家たちのあるものの書く長い長い文章はあまり好かない。おもしろいこともあるが、中身がさほどでもないところへやたらに調味料を使つたようなもの、肝腎の食いものより皿や皿敷きに金をかけたようなのを好まない。色づけということを拒まぬけれど、いやに毒々しい色づけは御免こうむりたい。つまりそれを自分の書くものに求めている。
(中略)
第四に、私は何とかしてことばの、また文章の、センチメンタリズムというものから逃れたい。何のどこをセンチメンタリズムと呼ぶかについて議論があるかも知れぬが、それはここでは触れぬことにする。とにかく私は、ひとのものにしろ自分のものにしろ、文章のセンチメンタリズムというのは、つきつめて行くとどこかに嘘があるのではないかとも思う。それから悪い意味でのエゴイズムがあるのではないかとも思う。センチメンタリズムとそれに伴う雄弁、これを私は自分に警戒したい。それはそこに利益がないからでもある。東京で、七五三に、子供にでこでこ着からざして飴袋を提げさせて歩く。ああいうのを自分の地の文から遠ざけたいと思つている。