野口悠紀雄『「超」整理日誌』(ダイヤモンド社)を読む。
週刊誌のコラムの寄せ集めで、とりたてて感想もない。しかし、そのなかである引用が気になった。それは次のようなものだ。
これまで日本の政党は、保守・革新という軸で区別されてきた。冷戦の終結によってこの区別に関心が薄れた現在、都市型・農村型という軸が重要になった。しかし、保守・革新の軸は消滅したわけでは決してない。したがって、いま求められるのは、都市に基盤をおく保守政党ではなかろうか。しかし、現実にこの条件を満たす政党は、かつての新自由クラブに例が見られたのみであって……
この文章は1995年時点のものである。恐らくその当時読んでいたならば何気なく読み過ごしていただろう。自民党の対抗勢力として日本新党が瓦解し、次いで新進党・新生党が生まれ、自社さ政権が誕生するに及んでいた当時の政治状況のなかではこのような意見がだされるのももっともだ。しかし現在の石原都知事の人気と、小泉政権の異常なまでの支持率を目の当たりにするに、いささか考えざるを得ない。
確かに現在のマスコミにおいては、「改革」を掲げる小泉総理と、既得権益にしがみつく自民党議員という対立構図を用いて、小泉総理を持ち上げている。森前総理大臣がいかにも農村型の総理であったために、都市型の小泉総理はより際立って見える。これまでの自民党の総理はいずれも農村型であった。竹下・宮沢・橋本・小渕・森といった元総理の面々を見ても明らかである。ただし河野元総裁だけが都市型であった感があるが、総理でなかったために印象は薄い。(都市型・農村型といっても出身地が都市と農村という訳ではなく、あくまで手法の問題である)
上記の引用に加えるならば、いま求められているのは、都市に基盤をおく革新政党ではなかろうか。しかし、現在この条件を満たす政党はない。旧社会党・民社党は農村型の革新政党であったことに異論はないだろう。公共投資を中心にした予算配分の駆け引きにあくせくしていた政党であった。結局は公共投資財源を高速道路やダム、港湾の建設につぎ込むのが自民党だったならば、その予算を児童相談事務所や福祉センターといった箱モノに向けるのが旧社会党の役割であった。
現在の社民党は若手がかなり頑張っているが、やはり旧社会党的な体質からまだ抜けきれていない。民主党の評価は難しい。一部に秀逸な意見を出す議員もいるが、なかなかそれが全体化しない。
今週の『週間金曜日』(No.366)のコラムにも「民主党は、日本の中道左派政党として、全てを市場競争の中に放り込むアメリカ型システムとは異なる社会があることを国民に示すべきである。市場原理主義の政策を国民が改革と信じ込み、日本にとって唯一の道だとマインドコントロールされることこそ、最大の悪夢である」(山口二郎北大教授)とある。広範な市民運動・労働運動・学生運動と連携しながら、現在の小泉政権に対抗できる社会民主主義政党の誕生が今こそ求められる。