突然ではありますが、
>最近ファシズムって何だろう?
>と疑問に思い初め、こうして調べていましたら、
>先生のホームページにたどり着きました。
>お忙しいとは思いますが、私のこの
>ファシズムってなに?そして
>なぜファシズムは成立したの?
>と言う質問にご返答いただけませんでしょうか。
ご質問ありがとうございます。
私の勉強不足でうまく答えられませんが、一応お答えします。
参考文献等でお調べください。
回答はちょっと長いので私のホームページに載せました。
そちらを拝見ください。
メールありがとうございます。
ファシズムについてのご質問、う~ん難しいですね。
定義
ファシズム(fascism)とは、「結束」を意味するイタリア語のファッショ(fascio)に由来する。
第一次世界大戦後の1919年3月ムッソリーニが「戦闘者ファッショ」を組織し、反共的な国粋運動をおこしたのが先駆である。その後、1920年代から30年代にかけて、イタリアのような運動がヨーロッパ・南アメリカ・東アジアの諸国に起こり、これら一連の運動はファシズムと総称されるようになった。これらの運動に共通する特徴は、国粋主義と軍国主義を高唱し、共産主義・社会主義を徹底的に憎悪するが、さらに自由主義・民主主義をも否定・排撃することである。したがって、ファシズムに支配されるに至った国家では、極右政党が樹立され、議会政治は否定される。1930年代のドイツ・日本などにはこのような独裁政治が生まれたが、いずれも資本主義が高度に発展しながら封建的な要素が根強く残存する民主主義の経験が浅い国であった。これに対して、スペイン・ポルトガルや東ヨーロッパ・ラテン-アメリカの諸国など、資本主義の発展が遅れていたところでも独裁政治が樹立された。
一方、イギリス・フランス・アメリカ合衆国のように、資本主義が高度に発達し、議会政治が早くから順調に発達した国でも、ファシズムの傾向がまったくなかったわけではない。第一次世界大戦以後、資本主義国家にさまざまなファシズムの動きが現れているという事実から、ファシズムについて次のような定義を下すことが出来る。すなわち、ファシズムとは帝国主義段階にある資本主義体制が国内的あるいは国際的な危機におちいり、反体制的な革命運動が激化した段階で、独占資本主義の維持・強化をはかるために、内外にわたって行われる反革命的な政治形態である。
歴史教育研究所編『世界史事典』「ファシズム成立史」旺文社 1978年
上記の点について、1930年代のドイツで活躍したフランクフルト学派のホルクハイマーという哲学者とアメリカの精神分析学者のエーリッヒフロムがより詳しく分析しています。書名は忘れました。私も大学のドイツ語の授業で勉強したものです。ファシズムとは資本主義の一つの結末であるというのがホルクハイマーの言い分です。
19世紀のドイツの状況などは高校の時に勉強されたと思います。19世紀に入ってドイツは急激に工業化を押し進め、ヨーロッパでも一流の工業国となりました。しかしその結果、国内で貧富の差が拡大し、金持ちと貧乏人の生活の間に著しい落差が生じてきました。そのために貧乏人は同じドイツ人である金持ちの人をねたむようになったわけです。また同じ時期1922年にソビエト共和国連邦が成立し、マルクス主義的革命史観が広く伝わり、最下層の民衆が蜂起して金持ち層を倒して新しい国家を作るというの歴史の教えるところだとする共産主義の考え方が広まりました。
ドイツは連邦国家ですから、国がまたばらばらになる可能性が出てきました。そこでヒットラーを中心としたナチスはその金持ちと貧乏人の対立を無くす方法をとったのです。貧富の差が同じ民族同士対立を生んでいるのはまずい、そこで同じゲルマン民族だという点でドイツをくくって対立を無効にしたのです。そしてドイツの民衆の怒りの矛先をユダヤ人に向けさせたのです。同じ民族なのだから対立はやめよう、ゲルマンの民族は優秀なのだから、ゲルマン人のみの国家を作ったら、最高ではないか。それまでドイツはユダヤ資本に握られており、ユダヤ人を殲滅したら、ユダヤの資本がドイツ民族に返ってくる、と喧伝し、ゲルマン民族至上主義の国家を描き出したのです。
つまり、ファシズムとは資本主義経済が発展し、貧富の差が拡大していく過程で、歪みを埋めるためにもう一度民族主義を打ち出したものといえます。貧富の上下間較差に伴う対立を民族の上下間格差に移し替えてしまったのです。そのためにアウシュビッツの大虐殺が当時のドイツにあった民族主義によって肯定されたのです。
日本の状況を考えるとより分かりやすいと思います。1929年の世界大恐慌以降、日本でも経済が著しく傾き、民衆は貧しい暮らしを強いられました。そこで当時の日本政府が考えた施策は、民衆の怒りの矛先を政府にではなく、アジアに向けさせたのです。日本にはもう土地がない、だから満州に行けば良い暮らしが出来る。アジアを「解放」すれば大和民族を頂点とした五族が共和できるとして軍国主義を邁進していったわけです。
また、エーリッヒ・フロムというドイツの思想家が「自由からの逃走」などで言っているのは、1920年代、第一次世界大戦に負けたドイツに、ワイマール共和国という自由な国家が生まれました。主権在民・成年男女による普通選挙・国民の基本的権利、労働権の保障などを盛り込んだワイマール憲法を持つ当時としては先進的な民主的な国家です。つまりそれまでの封建的な社会から、個人が個人として独立している民主主義が確立されたのです。しかしそのために個人がそれまで民族や郷土にアイデンティティーを求めていたのが出来なくなり、大変「不安定」な立場に置かれることになったのです。
人間というものは自由を渇望するものであるが、実際に自由になると今度は「個人主義」という孤立に堪えられなくなって不自由な環境を求めたがるというのがフロムの主張です。実際に当時のドイツ人は自由なワイマール憲法と民主的な議会制がありながら、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)を歓迎したわけです。
ファシズムの成立には人間が元来もつ他人と同じもの、同じ行動に流れていくという群れ意識が強く働いていると言えます。
私のホームページのどこの言葉が検索にひっかかったのか分かりませんが、私はよく「ファシズム的状況」という言葉を学生時代使っていました。私の学生時代にオウムによるサリン事件がありました。国内に仮想敵を作り、民衆の不安を煽ったうえで、国家が全面に出てくるという手法は戦前と同じです。また北朝鮮を必要以上に危険な国家としてマスコミを使って宣伝し、日米による対北朝鮮を想定した軍事共同演習など軍拡に走るのも同様に反対の声を上げていくべきことだと考えます。