先程テレビ朝日のニュースステーションを見た。久米宏は見た目かなり変わっていた。本日の特集はカルト宗教の問題だった。浅見定雄氏が出演していた。そこで浅見氏はカルト宗教問題は神経が敏感な他人の問題としてではなく、誰しも、勿論自分の身にも起こる問題として提起していた。大切な視点である。カルトに限らず、すべての社会問題を自らの問題として背負っていく主体を認識できる生徒を育てていきたいものである。そのために何をすればよいのか。何が出来るのか。
月別アーカイブ: 2000年1月
徒然なるままに
先程テレビのニュースで元旦に富士に向かう暴走族と警察の攻防が映し出された。アナウンサーのコメントも市民生活を乱す側の暴走族と守る側の警察という構図に基づくものであった。しかしどう見ても、警察とマスコミの臭い芝居に見えて仕方がない。今や恒例となった警察24時何とかという番組も同様であるが、警察の宣伝番組に過ぎない。しかもそのような「社会を守る警察」という宣伝が、日常において警察を行き過ぎを肯定するという効果を生んでいる。
私も今年の元旦に富士に向かったが、途中で車を停められ、免許証の提示を求められた。また深夜の自転車の登録確認や、プライバシーを聞く尋問も日常茶飯事になった。95年のオウム事件以降、とみに警察の活躍を助長するムードが形成されたが、それから5年経ってみて、改めてその変化の大きさに驚く。
2000年-ミレニアムムードで明るい未来を語るのもいいが、90年代の真摯な総括の方は忘れ去られていないだろうか。2000年になったから1900年代が終わったわけではない。何か区切りを設けて、その区切り以前のことを不問に付すというのは日本人の悪い癖だ。50年前にも、「終戦」という区切りを設けて、戦前を問い直すことのなく、戦争責任を曖昧にしてきた過去を私たちはもっている。
ミレニアムムードの落とし穴にもそろそろ気付くべきではないか。2000年になったからといって昨年のガイドライン問題に終止符を打ってはいけない。1900年代が終わったからといって過去100年の戦争の傷跡を忘れてよいものではない。2000年になったからといって先月の多くの社会問題を終わりにしてはいけない。
私は95年に1年近く読売と朝日の両紙を読んでいたが、その時に両紙の違いが一番顕著だったのが、特集記事の組み方であった。朝日は過去50年を振り返るという特集を組み、読売は戦後50年を越えてというものであった。今や全マスコミがヨミウリ化してしまっている。
とにかく過去の嫌なことを忘れて年越しを迎える(忘年会などの行事に顕れている)日本人ムードには常に懐疑的な視点を忘れてはならない。
余談だが、これではまだ皇紀の方が、いつでも天皇制の問題を国民が忘れないという点で良いのではないか。2000年問題にしろ、その影に元号の煩わしさとイデオロギー性の問題点が覆い隠されてしまっている。日本がほとんど西暦に移行したかのごとくマスコミは報じているが、2000年問題があまり影響なかったのは元号の問題に深く足を突っ込んでいるからだという指摘はなかった。
つぶやき
今年の元旦から読売新聞を読んでいる。拡張のおやじにビール券と洗剤とともにむりやり契約させられた。はっきり言って読売は読むところがない。どの記事も面白くない。唯一面白いのはこぼちゃんだけである。なぜこれほどつまらないのか? 社会面にしろ、政治面にしろ、文化欄にしろどれも魅力がない。契約期間の3ヶ月間が苦痛である。
それにしても今まで読んでいた東京新聞は面白かった。商工ローンの問題もいち早く取り上げていたのは東京だ。夕刊でたまに宮崎哲弥の文章が載るのが良い。宮崎哲弥は朝生でもかなり切れるが、文章も簡潔でかつ深いところまで述べている。12月24日付けの東京の論壇時評でも、「文芸春秋」の宇多田ヒカルの文章から、「戦後責任論」の高橋哲哉の記載に始まり、「情況」「世界」「論座」と多くの雑誌の記事をよく読んで分析している。彼のラジオ番組が前やっていたが、それも面白かった。
言いたかったことは読売はつまらないということだ。朝日もつまらないが、まだ特集記事に魅力のある文章が載るのが救いか。思い出したが、産経の読者投稿欄は面白い。ぶっ飛んだ主張や、産経本社での明らかなねつ造などマニア的に面白い。ほとんど電波系の性感帯をなでるような代物だ。
それにしても経営で苦しんでいる毎日は今年前半くらいはもつのだろうか。
徒然なるままに
http://member.nifty.ne.jp/kakukai/kyoiku/oohira.htm
本日は年賀状をひたすら書いた。
久しぶりに筆ペンを使ったので、改めて自分の悪筆に気付かされた。
国語教師なのだから字はうまくて当然だと世間では思われているが、実際大学での「書写指導」の授業なんて本当にインチキな代物で、全く進歩しなかった。
私は大学の「書写指導」は大平先生というおじいさん先生に習っていた。
その先生はいつも教室に来るときは風呂敷包みに名簿やプリントなどを入れてやってきた。
そしておもむろに老眼鏡を額にのっけてはのっそりと出席を取り始めた。
私は年度の終わりになって出席を始めて、2年生の正月明けに1年分の課題をまとめて提出して何とか単位を得た。
しかも教科書を買う金がなかったので、先生に冬休みの間借りて仕上げた。
その大平先生ももう定年で、私が4年の時に最後に国語教育に関する寄せ集め的なつまらない自著を出して去っていった。確か21世紀の国語教育という本だ。
古き良き時代の大学教授の典型のような先生であった。
謹賀新年
本日の早朝神奈川と静岡の県境にある足柄峠に初日の出を見に行ってきた。着いたのが2時だったので、6時まで寒い車の中で過ごした。そこの足柄峠は地元では有名なスポットで、山の端から上がる日の出と、その陽を受けて赤く輝く富士を見られるという贅沢な場所である。2000年の初日の出に今年一年の健康を祈ってきました。