読書」カテゴリーアーカイブ

『エネルギーと環境の疑問 Q&A 50』

笠原三紀夫『エネルギーと環境の疑問 Q&A 50:数字でなっとく本質がわかる!』(丸善株式会社,2008)をパラパラと読む。以下、確認のためにまとめおきたい。

石炭や石油といった化石資源の成因は完全に分かっていない。現在主流となっている有機成因説によれば、石炭は5.7億年〜2.5億年の古生代を中心に、陸上の植物が地中に埋もれ石炭に、また石油は2.5億年〜0.6億年の中生代を中心に、海や湖で繁殖したプランクトンや藻が水底に沈んで石油に変わったといわれている。

乾燥した空気の塊が、外部と熱のやり取りをすることなく上昇するとき、熱力学および静力学の法則に従い、100m上昇あたり0.98℃温度が下がる。この変化を「乾燥断熱減率」と呼ぶ。一方、実際の大気においては「気温減率」と呼び、±0.65℃/100mとなる。

『ゴキブリの歌』

五木寛之『ゴキブリの歌』〔五木寛之エッセイ全集 第4巻〕(講談社,1979)をパラパラと読む。
このブログで検索してみたところ、20年ほど前に、10年ぶりに読み返したとの記載があった。ということは30年前の高校生の頃にも読んでいたのだ。まだ黒電話が電話線で繋がっていたころで、電話に出たくない時は、毛布で厳重に包んで押し入れの中に入れていたというエピソードが紹介されており、印象に強く残っていた。

学歴に関する話が面白かった。国勢調査で学歴を記入する際に、大学抹籍の五木氏が高卒か大卒しか選択肢のない調査用紙を前にして、狼狽える場面がある。五木氏は次のように述べる。

私は大学卒と書きたかったわけでも、高校卒に◯をつけることに抵抗を感じたわけでもない。そして、現在、学歴がないことで差別されたり、いやな目にあったりするような仕事にたずさわっているわけでもなかった。むしろ、内心ひそかに、と言うよりも、至極おおっぴらに大学制度を批判している人間だったのである。
にもかかわらず、何となく最終学歴、高校卒、と記入することが癪な気がした。頭では学歴が人間の値打ちと全く関係がないことを承知しており、人にもそうしゃべり、文章にも書いているのに、いざ自分のこととなると何となく口惜しい感じがあるのである。素直に高卒に◯をつけず、大抹にこだわるのは、やはり一種の学歴コンプレックスのなせるわざなのだろうと思う。

「軍縮問題資料 No.188」

宇都宮軍縮研究室が発行していた「軍縮問題資料 No.188」(1996.7)をパラパラと読んだ。
学生時代に購入し、そのまま本棚の奥に眠り続けていた雑誌である。当時は月刊誌で刊行していたのである。編集代表であった宇都宮徳馬氏は戦前共産党に入党しており、治安維持法で約1年間の獄中生活を送っている。戦後は一転して自由党公認で衆議院選挙に出馬し、その後30年近く自民党のリベラル派の議員として活躍されていた。自民党議員として、石橋湛山や三木武夫らハト派議員と行動を共にし、平和共存外交、日ソ・日中・日朝国交回復を主張し、日中国交回復、韓国の民主化や非同盟諸国との協力を進めた異色の議員であった。

ネットを調べているうちに分かったのだが、宇都宮氏は新自由クラブの推薦を受けて参議院議員にもなっている。新自由クラブというと古巣の自民党の右派的なグループだと勝手に思っていたが、実は親中派の議員が多く、また、社会民主連合とも連携を組んでいたのである。

『平清盛』

安田元久『平清盛:権勢の政治家と激動の歴史』(清水書院,1971)を数ページだけ読む。
著者は学習院大学の学長まで務めた日本の中世史学者であり、本書も専門書に近い内容であった。
専門家の間でも平清盛の人物像の評価は分かれている。鎌倉時代の始まりが1192年ではなくなったように、古代から中世の転換をどこにおくのかで、平清盛の評価も分かれていく。著者は平清盛の評価の難しさについて次のように分析する。

清盛に対する歴史的評価の困難さは、また彼が作り上げたところの、いわゆる平氏政権の歴史的位置付けの問題とも関連する。平氏政権を古代的貴族政権のひとつと見るとき、それは古代の終焉をつげる苦悩の中に生まれたところの独裁政権であり、また王朝国家の没落を前にして咲いたあでやかな仇花ともいえる。平氏政権を、武家政権と見るとき、それはまさに新しい時代の先駆者であり、中世をひらく苦悩の前史をいろどる短命の政権とみることができよう。

『激動世界の裏側』

鎌田慧『激動世界の裏側』(すずさわ書店,1990)をパラパラと読む。
1987年から90年にかけて新聞や雑誌に連載された記事が収録されている。天安門事件に始まり、欧州各地の冷戦の崩壊の模様、韓国の労働運動などの世界情勢や、言論弾圧に抵抗した本島等長崎市長や減反を迫られる大潟村など、当時新聞を賑わせたニュースの背景が書かれる。国鉄民営化や御巣鷹山の墜落事故、建設前の六ヶ所村再処理工場での反対運動など、1980年代後半、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣への闇の部分が垣間見える。