『ゾウの歩んできた道』

小原秀雄『ゾウの歩んできた道』(岩波ジュニア新書,2002)をちょこっとだけ読む。
タイトルにある「道」は実際にゾウが踏み歩いてできた獣道という意味と、5000万年前のゾウの先祖から進化して、現在のアジアゾウとアフリカゾウの2系統になった進化の道(過程)の2つがあり、それぞれについて説明している。といっても進化論が大半で興味がわかなかった。最後に象牙の密輸によって人間がゾウを絶滅に追い込んでいるという警告があった。

『歌謡曲から「昭和」を読む』

なかにし礼『歌謡曲から「昭和」を読む』(NHK出版新書,2011)をパラパラと読む。
著者は昭和を代表する作詞家であり、北島三郎の「まつり」(1984)や細川たかしの「北酒場」(1982)などのヒット曲を手掛けている。また、平成に入ってもTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」(2003)など、印象に残る歌を作っている。

意外だったのが、軍歌に対して一線を引き、外国の唱歌に国威発揚の歌詞をつけたり、戦争で命を落とす若者への配慮のない芸術家に対して、しっかりと批判を述べている。

私は「愛国的」つまり「日本のため」ということ自体、芸術家として根本的な誤りであると思う。(中略)作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、(中略)そこに彼らの罪がある。

平成21年(2009)、イスラエルのエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹は、授賞式で、「高くて硬い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と自らの文学的信念を語り、列席していたイスラエル大統領の面前で、イスラエルによるガザ侵攻を非難した。私は一人の作家として、この言葉に共感する。作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は「主人持ち」になり、その側から発言することになる。それは村上春樹の言葉を借りれば「壁」になることに他ならない。仮にいま戦争が起きたとして、国策に沿った歌を書くように言われても、私は絶対に書かない。それは政治思想の問題ではなく、歌を作る人間として、あるいは作家として、「主人を持ってはならない」と考えるからである。芸術に携わる人間は、決して自らが「壁」になってはならないのだ。

『登山入門』

近藤信行『登山入門』(岩波ジュニア新書,1982)をパラパラと読む。
著者は登山の専門家ではなく、登山関係の著作も多い文芸評論家である。そのため登山の際の装備や地図の読み方、岩登りの技術といった実技的な内容だけでなく、登山の歴史や古くは万葉集にみられる山の叙情などについても詳しく書かれている。

現在は登山というと、観光や健康という側面が強いが、ロッククライミングのようなタイムを競うスポーツ競技も含まれる。こうしたスポーツクライミングの原点は、19世紀半ばの大英帝国時代のアルプス山脈攻略に始まる。イギリスを中心に19世紀後半には、アラスカや南米大陸、カフカス、ヒマラヤ、カラコルムや中央アジア、アフリカなどに遠征が試みられるようになる。なかでも、当時のインドはイギリスの統治下であり、ヒマラヤ山脈にはイギリスの登山家だけでなく、欧州各国の探検隊や、軍人や科学者まで送り込まれ、やがて無酸素登山や岸壁直登のアドベンチャ時代へ受け継がれていく。

深谷商業高等学校記念館(二層楼)

所用で深谷商業高校に出かけた。1922年(大正11年)、学校創立の翌年に建てられた旧校舎(二層楼)は、2000年に国の登録有形文化財の指定を受け、創建当時の色合いで塗り直されて、深谷商業記念館として保存されている。建てられた年に渋沢栄一が講演を行った場所としても知られ、市のシンボル的存在ともなっている。

得てしてこうした記念館は保存・公開がメインとなり、一般の使用は禁じられる傾向が強い。しかし、この二層楼は、平日は会議や講義などで利用し、日曜日のみの一般公開となっている。現在も生徒や教員が使用している「生きている校舎」という位置付けが評価できる。

『笑えるクラシック』

樋口裕一『笑えるクラシック:不真面目な名曲案内』(幻冬社新書,2007)をパラパラと眺める。
詳しくは覚えていないが、何かの話のネタにと新刊で購入して、そのまま積ん読になっていた本である。小論文指導で有名な樋口裕一氏の手によるものである。生真面目に肩肘張って聞くクラシックではなく、作曲家自身もユーモアを込めて作った作品もあり、そうした笑える作品を気軽に味わってみようという入門書である。さすが小論文指導を専門としている著者だけに、読みやすい文章であったが、内容に全く興味がわかなかった。