北杜夫『ドクトルマンボウ途中下車』(中央公論社 1966)を読む。
今から50年以上前のエッセーで、開通したばかりの新幹線に乗った体験や、日本復帰前の沖縄旅行、戦前の信州登山など、ド昭和な時代を感じる内容が多かった。ただ、1966年当時でさえ、高速道路や観光施設など、最近の便利な世の中に対する恨み節が多く、戦後の20年の変化と21世紀に入ってからの20年の変化の違いに驚く。果たして現在は成長しているのか、衰退しているのか。
「読書」カテゴリーアーカイブ
『バルセロナ、秘数3』
中沢新一『バルセロナ、秘数3』(中央公論社 1990)をパラパラと読む。
オウム真理教事件が起こる前であり、著者が尖っているころの作品である。冒頭はバルセロナの旅行記風の軽快な出だしだが、途中からカタルーニャを象徴する3という数を崇拝する新興宗教のような内容となっていく。1は男性、2は女性、3は生命、そして4は神を示すという。
後半は以下のような内容が延々と続く。
もうおわかりでしょう。秘数4は、自分のなかに、多様性を圧倒して、それを統一性のもとにゆだねる権威主義への萌芽を、原理的に宿しています。ところが秘数3には、それは思いもつかないことなのです。ひとりひとりの人格は、三位一体としてつくられています。ですから、もともと絶対的な多様性として、ほかのなにものにも還元できない自立性や単独性をそなえているはずです。こうして、3は自分を包囲する4との、終わりのないたたかいにたえなければならなくなったのです。
『学校で教えてくれない職人の仕事』
株式会社エディト企画・編集『学校で教えてくれない職人の仕事』(竹村出版 1999)をパラパラと読む。
「職人」といっても幅広く、花火師や甲冑師、錺師などの伝統職人から、畳や時計修理、クリーニングなどの暮らしの職人、完熟梅干しや佃煮、羊羹などの食の職人、背景画家や人形師、ピアノ調律師、サーブボードシェイバー、盲導犬訓練士など、てんこ盛りな内容となっている。その中で、私も高校卒業後の職場で教わった「3日、3ヶ月、3年」という言葉が印象に残った。「何事も3日我慢できれば3ヶ月、3ヶ月我慢できれば3年、そして3年我慢できればずっと続けられる」という意味の言葉である。当時もなるほどと思ったが、30年経った今でもなるほどと思える不思議な言葉である。
『ファンタジーの冒険』
小谷真理『ファンタジーの冒険』(ちくま新書 1998)をパラパラと読む。
古今東西のファンタジー小説の評論集である。非常に読みにくい文章で、ほとんど読み飛ばしたが、日本のファンタジーノベルを代表する作家として、先日亡くなった酒見賢一氏を取り上げていたのが印象に残った。
何を評価しているのかは、文章を読んでも分からないが、高い評価を与えているということは理解できる。
歴史でもなければ、歴史小説でもない、どこか『真実』とみまごう『偽史』の語り口は、歴史的言説とそれを成り立たせている記述的方法論それ自体と戯れているように見える。
『社会の今を見つめて』
大脇三千代『社会の今を見つめて:TVドキュメンタリーをつくる』(岩波ジュニア新書 2012)をパラパラと読む。
著者は中京テレビに報道記者として入社後、数々のドキュメンタリー番組を手がけ、現在フリージャーナリストとして活躍している。その著者が番組制作の過程で映像には収まりきれない現実の矛盾を綴っている。日本で水商売をするフィリピン人女性や苛烈な労働環境で交通事故を起こしたトラックドライバー、戦争体験、病院での人手不足など、立場によって様々な課題がしてされるテーマについて論じている。