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『恐龍はなぜ滅んだか』

平野弘道『恐龍はなぜ滅んだか』(講談社現代新書 1988)を読む。
タイトルの通り、6500万年前の巨大隕石の衝突と大規模火山噴火が恐竜が滅んだ理由だという結論である。ただし、それまでの前提の説明が長くて飽きてしまった。私の最も苦手する生物・植物の分類学に関する話が半分を占めており閉口してしまった。
ただし著者は生物が専攻ではない。早稲田大学教育学部で地球科学教室を担当され、同大学院理工学研究科地球・環境資源理工学専攻の教授でもあった方である。
気になったところを書き抜いておきたい。

  • 植物が最初に上陸に成功したのは、約4億年前のことである。この時以降、植物は体の支持と温度変化、それに乾燥からの防禦に優れたものが順次繁栄していくことになる。(シダ植物から裸子植物の針葉樹林、そして被子植物へと進化していく)
  • 200万年前から1万年前までの時代を、特に氷河時代と呼ぶ。この時代が、寒冷化傾向のピークで、世界的に4回の氷河期が知られている。
    現在のグリーンランドの氷河は175万平方キロメートルあるが、氷河時代の最大の氷河は、ヨーロッパの北緯49度、パリにまで下がった。その面積はグリーンランドの10倍、1850万平方キロメートルと計算されている。この最大の氷河の時代には、対馬海峡も陸となり、多くの動物がアジア大陸から渡ってきた。私たちの祖先も、その時に日本人になったのだと考えられている。
    この氷河時代は1万年前に終わりを迎え、5千年前には、縄文海進と呼ばれる温暖な時期があった。極地方の氷も融け、海水の量が増えたため、海水準が上昇した。日本でも、現在の関東平野の奥深くまでが海になり、関東山地との境界地帯や丘陵地に、縄文時代の遺跡が知られている。しかし、その後、地球はまた寒冷の傾向になった。
  • ちなみに、氷河時代とそうでない時の赤道海域の水温の違いは、わずか4度Cであるそうだ。

『いつも読みたい本ばかり』

渡部一枝『いつも読みたい本ばかり』(講談社 1989)をさらっと読む。
著者は 1945年にハルビンに生まれ、1989年に18年間の保母生活に終止符をうち、チベットや中国、モンゴルへの旅を続けながら作家活動に入った人物である。
その著者が作家専業になったばかりに刊行された本である。日常生活を綴ったエッセーの中で、天気や季節、野菜などの身近なテーマの本を紹介したり、子ども向けの絵本やアフリカの実際、原発の恐怖など、幅広いジャンルの本も品揃えに加えている。

『遠い海から来たCOO(クー)』

第99回直木賞受賞作品、影山民生『遠い海から来たCOO(クー)』(角川書店 1988)を読む。
コロナでずっと横になっていたので、おもむろに手に取ってみた。白亜紀の首長竜が南太平洋のフィジー諸島で少年によって発見されるというファンタジー小説である。

細かい描写は読み飛ばしたが、大体内容を掴むことができた。残念なのは物語の主人公であるプレシオサウルスの話よりも、フランス軍やグリーンピースなどの人間の対立や戦闘シーンが多かった点である。恐竜が絶滅した理由に関する話は興味深かったので、もう少し恐竜の話が知りたかった。

『1973年に生まれて』

速水健朗『1973年に生まれて:団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍 2023)を読む。
久しぶりに新刊を購入し、一気に読み終えた。約210万人いる団塊ジュニア世代の中でも一番多い1973年生まれにフォーカスして、スポーツ選手や芸能人、IT業界の起業家などを取り上げ、さらに我々世代が経験してきた事件やメディアの進化、サブカルなど、ありとあらゆるモノやコトが紹介されている。PC-98やコードレスホン、おたっくす、通信カラオケの目次本など、デジタル化の波でいつの間にか消えていったエピソードが面白かった。
あとがきの一節が印象に残った。

73年世代の生きてきた時代の中で、多くのものがアナログからデジタルへと転換していった。その移行は、単線なものではなく、複線的に進み、いくつもの失敗の繰り返しでもあった。自分の世代が新しい側に乗れたこともあるし、乗り遅れたものもある。

『新哲学入門』

板倉聖宣『新哲学入門:楽しく生きるための考え方』(仮説社 1992)をパラパラと読む。
著者は1953年東京大学教養学部教養学科、科学史科学哲学分科を卒業。1958年東京大学大学院数物系研究科物理学課程博士コースを修了、物理学史の研究によって理学博士となった科学の専門家である。その著者があえて森羅万象を扱う哲学について論じる。

米国の禁酒法や江戸時代の生類憐みの令、毛沢東の文化大革命などは壮大な社会実験であり、その中身は間違ったものであったが、実験を経て人間は賢い方向に進歩してきたと論じる。つまり、自然科学であろうと社会科学であろうと、仮説を立て実験を繰り返すことで学問は進化していくのであり、最初から真実に到達したり、安易な弁証法で真理を得るのは間違いであるとする。