昨日の投稿と軌を一にするように、「在日の子 苦悩」と題した、安倍政権の朝鮮学校の無償化の適用外方針を批判的に捉える記事が掲載された。
「新聞」カテゴリーアーカイブ
東京新聞朝刊の読者欄から
本日の東京新聞朝刊に大学教授浅野健一氏の投稿が掲載されていた。下村博文文科相が決定した朝鮮学校に対する高校授業無償化適用除外への批判である。
日本に生まれ、育ってきた朝鮮学校の生徒のみ高校無償化法(公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律)を適用しないというのは、教育基本法第四条(「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」)の精神に悖るものである。
毎月の授業料1万数千円という額が問題なのではなく、日本政府が朝鮮学校のみ名指しで省令を改定し、民族差別を助長していることが問題なのである。
公教育に携わるものとして、教育の機会均等の保障を守っていく活動は続けていきたいと思う。
今年1年よろしくお願いします。
2013年が始まった。
昨年までは仕事や育児で余裕をなくしていたが、今年は自分の専門、自分の領域を大切にしながら頑張っていきたい。
今年の元日の東京新聞1面のトップ記事は、「原発マネー保育まで」と題して、原発立地自治体が本来一般財源で賄うべき住民サービスに、23自治体で278億円も注ぎ込まれている現状を報じている。さらに社説では自然を制、征服する思想そのもの限界に触れながら、次のようにまとめている。
新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を煽動していったのです。その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾を満州も捨てろと説いた「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。
満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。
石橋湛山に見習うわけではないが、私自身、日々の無思想な怠けに流されることなく、5年、10年後を予想しながら、日常の判断、行動に正確を期していきたい。
オスプレイ自衛隊導入
本日の東京新聞朝刊の一面に、大きくオスプレイの自衛隊導入検討という記事が載っていた。記事によると、民主党政権の時に、森本敏前防衛相が検討を指示し、自民、公明の連立政権も日米同盟強化の観点から引き継ぐことを決めたとのこと。
12月26日付けの東京新聞夕刊には、オスプレイに関して、人口密集地上空での飛行や米軍施設・区域外での垂直離着陸モード飛行、午後十時以降の深夜飛行などの、日米合意に違反する危険な行為が318件にも上るとの記事が掲載されたばかりであった。
安倍自民党政権はせんかく諸島における中国側の領海侵犯と同じレベルで、日本国内での米軍の横暴を指摘しない限り、軽々に「国益」という言葉は使えないであろう。
朝鮮学校への高校授業料無償化
12月29日付けの東京新聞朝刊に、下村博文文科大臣の朝鮮学校への高校授業料無償化についてのコメントが掲載されていた。
記事によると、拉致問題や朝鮮学校の人事や財政に朝鮮総連の影響が強いことを懸念し、会見下村文科相は、「子どもには罪はなく民族差別をするわけではないが、拉致問題や国交回復という一定の問題が解決された後に考えるべき問題」と述べたようだ。
朝鮮学校に対する高校授業料無償化に関する一連の流れを見て思うのだが、担当の知事や大臣は朝鮮学校の現状を分かっているのであろうか。もちろん、「教育の自立」という観点から、朝鮮総連の場当たり的な影響は排除されねばならない。
しかし、下村文科相の言う「国交回復が解決された後に考えるべき問題」というのは、日本政府の施策のもとに行われた侵略戦争や強制連行の歴史を踏まえた発言ではない。むしろ日本に残らざるを得なかった朝鮮国籍の方々のケアを政府の責任で十全に行った上での国交回復ではなかろうか。
いずれにせよ朝鮮学校の実態が意図的に隠蔽されたまま、数年前のチマチョゴリを着た生徒に対する暴行といった事件が起こらないことを願うばかりである。