本日の東京新聞朝刊より
早稲田大学の新学生会館や同志社大学の構内交番、北大や東大での飲食規制などが取り上げられ、大学内の表現や集会の自由が過度に規制された結果、反原発デモなど社会問題に関わろうとする学生が育たない高等教育のあり方に疑義を呈している。
本日の東京新聞朝刊に、過去9回にわたって連載されたシリーズ「日米同盟と原発」の抄録が載っていた。
読み応えのある内容であった。戦前の原爆研究が上手いように、米国や日本政府、読売新聞社主正力松太郎氏などのマスコミによって、「平和利用」の原発へと姿を変えていった歴史が、当時の科学者や役人の証言によって明らかにされている。
その中で、外務省で核武装を検討していた元科学課長の谷田部厚彦氏のコメントが、現在の原発政策の実態を示している。
日本が核を持つことを米国は許さないので、当時も今も核武装は現実的なオプション(選択肢)ではない。ただ、その可能性があるふりをする、ポテンシャルを持つことはいい。その方法が、原子力技術を高めることだった
本日の東京新聞朝刊の2面、3面に、「消えたお祝いムード」と題された安倍政権の「主権回復の日」の記事の隣に、「『主権』米軍意のまま」と題した日米地位協定や米軍横田基地の問題点が特集記事が載っていた。「主権回復〜」の記事も沖縄の怒りに配慮し当初の思惑から大きく後退せざるを得なかった背景にしっかりと触れている。
また、横田基地の記事については、次のリード文が寄せられている。
サンフランシスコ条約が発効した4月28日は、安倍政権が定めた「主権回復の日」であると同時に日米安全保障条約(旧)が発効し、米軍の駐留が正式に認められた日でもある。安保条約は米軍に特権的な地位を与え、「不平等」と批判される日米地位協定締結の根拠になった。条約や協定を後ろ盾にした米軍のありようを検証すると「主権回復」に疑問符がつく。
そして、横田基地のラプコン(空域)や米軍の遊興費も肩代わりする日米地位協定、また、全国の米軍基地の騒音訴訟やオスプレイなどの問題点が列挙されている。記事の中の次の言葉が印象に残った。
首都に主権の及ばない米軍基地と米軍が管理する空域が広がる日本は、まともな国といえるだろうか。(中略)日本防衛という名分のもと、米軍の「やりたい放題」はとめどなく広がっている。
本日の東京新聞朝刊に、経済同友会だけでなく、経団連も大学生の就職活動の開始時期を4年生の4月以降とする政府の意向にに賛同するという記事が掲載されていた。
特に文系の学生にとって就職活動は死活問題である。就職に失敗して自殺を選ぶ学生もいるという報道もあった。
昨年より東京新聞の土曜日の朝刊に、毎週金曜日に国会前で行われている反原発デモの一般の参加者の声が写真入りで紹介されている。私も毎週その記事を読み、参加気分を味わっていた。今週は毎週水曜日に「キャンプ座間」の前で座り込み行動をしている弁当店の店主の声であった。彼女は「基地と原発の問題は、どちらも子や孫の世代に負担を掛けるという点で、つながるものがある」とし、「将来の日本を支える若い世代には、基地や原発の問題を自分のこととして、もっと注目してほしい。インターネットを見て分かった気になるのではなく、こうした現場に足を運んでほしいですね」と述べる。
インターネットの記事や動画を見て満足してしまう若者に対する強烈なカウンターパンチを放っている。私も行こう行こうと思いながら、仕事や育児、往復の手間などを言い訳に一度も訪れたことがない。寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」ならぬ、「ネットで済ますな、現場へ出よう」といった「行動し体験し、そして考える」必要性が問われている。