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本日の夕刊から

本日の東京新聞夕刊に掲載されていた、最近心を開ける彼氏に出会ったというタレントの春香クリスティーンさんのコラムの一節が印象に残った。恋愛相手の対応を待つ時間をあれこれ思うというのは、和歌の遣り取りで気持ちを高め合っていた平安時代の貴族と変わらない感覚である。
私はほとんどLINEはやらないのでよく分からないが、いつでもどこでも気軽に連絡が取れるツールなのに、相手が気付くまでの時間を大切にしたいというのは、一見矛盾しているように思う。しかし、コミュニケーションの手段が手紙から、固定電話、携帯電話、メール、さらにはSNSと格段に進化しても、心の中での自分や相手との対話が大切なのである。

本当の恋愛もいいものなのかなと。「LINEの画面が『既読』の印にならない…」。長い人生を考えれば本当にどうでもいいことではあります。目の前の画面が「既読」の印にならないからと、ずっと画面を見つめてしまうのも無駄な時間です。この間に新聞を読めばもっと世界が広がるのに…。でも実はこの「既読」を待つ時間も人生の財産なのだと思います。

本日の夕刊から

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」で、大学時代の知人の死を知った。
講演会などを企画する際に、サークルボックスだったか、酒の場で何度か話をした思い出がある道場親信氏である。存命中、和光大学で教授をされていたらしい。みすず書房から『思想の科学』の研究会の

本日の夕刊から

本日の夕刊文化面の詩人渡邊十絲子さんのコメントが面白かった
「ブラタモリ」ファンの渡邊さんに最近一つ不満があるという。地方ロケに行くようになった現在のシリーズよりも、東京の町中だけを地味にうろついていた初期シリーズの方が断然高品質であったという。そして次のように述べる。

 タモリが路面に這いつくばって高低差を確認している横を住民が迷惑そうに通り過ぎていく、あのいたたまれない感じがこの番組のキモだったのに。「招かれて拝見する」ときに、大事なものなんか見えない。「頼まれてもいないのに覗きに行く」から、輝ける発見があるのだ。

また、東京工業大学の中島岳志氏の「論壇時評」も興味深かった。保守派の西部邁氏と共産党書記長の小池晃氏を取り上げ、返す刀で野党を批判し、ネオコン・新自由主義に抵抗する方向性を示している。
月1回の連載であるが、彼の視野の広さと視点の鋭さに脱帽である。東京新聞のホームページに掲載されたら、引用してみたい。

「男の生き方 想像広げ 大水滸伝シリーズ完結」

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本日の東京新聞夕刊文化欄に、作家北方謙三氏のインタビュー記事が掲載されていた。
その中で、北方氏のある言葉が強く印象に残った。

現代を舞台にすると、物語がどんどん小さくなっちゃう。現実に誰かの首を飛ばして殺すなんて不可能でしょう。そうすると、登場人物の内面にばかり向かう。限りなく純文学に近づくんだよね。そういうものはあまり書きたくない。

北方氏は、国づくりのために命を燃やす男や、色恋に人生を狂わせる男などのハードボイルド作品を描く舞ために、「歴史小説」という舞台が必要だと述べる。
「なるほど」と思わず頷いてしまった。歴史小説の方が史実という制約が多いのではないかと思っていたが、現代の方が、ポリティカル・コレクトなど複雑なコードに縛られているのだ。

「行儀悪さでガス抜きを」

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本日の東京新聞朝刊の書評欄に、東京高円寺を拠点に反原発デモなどを行ってきた「素人の乱」代表の松本哉さんの著書が顔写真入りで紹介されていた。
松本さんは記事の最後で、次のように語る。

 狭く閉じた遊びや情報だけでなく、見知らぬ世界とつながることが反乱への一歩かもしれない。

なにやら現代文の教科書の巻頭エッセーに出てきそうな文章の言葉である。東京新聞大日方公男記者ならではの味のあるまとめ方である。