『EUの地理学』

佐々木博『EUの地理学』(二宮書店,1995)をパラパラと読む。
大学のテキストで使っていたのであろうか。ヨーロッパ共同体(EC)の成立に始まり、地形や気候、植生、言語、宗教、第一次・第二次・第三次産業のあらましが教科書風に説明されている。ちょうど地理探究の教科書の地誌の項目の深掘りのような内容である。

スコットランドは北大西洋海流の影響で降雨量が多い。熱帯低気圧(台風)が来ないので、激しく降ることはないが、降ったり止んだりが続く。偏西風の影響で西部や高地で雨が多くなる。ゴルフ発祥の地にふさわしく、牧草や芝草がたくさん生い茂っている。また、夏季に成長した草が気温が低いため腐食せず、そのまま炭化してビート(泥炭)を形成することになる。ビートは夏季に掘り起こして乾燥させ、家庭用の燃料としたり、ウイスキー醸造用に使われる。

イタリアの降水量は平均830mmほどで日本の約半分である。イギリス西部の年間降水量は1000〜2000mmとなっている。アルプスの南北の気候の違いは、「アルプス以北の木の文化、アルプス以南の石の文化」という言葉で例えられる。

ヨーロッパの偏西風の影響は強く、東ヨーロッパ・ロシアまで到達する。有名なところでいうと、ハンガリーである。北海道と同じ緯度帯で内陸に位置するが、温暖湿潤気候となっている。5月・6月の初夏に雨が降るので、プスタのような草原が形成されることになった。ちなみにプスタの地域は元々広大な森林が広がっていたが、オスマン帝国に領有されている時に木々が伐採され、湿帯草原へと変わっていったとのこと。

インド・ヨーロッパ語の中で、主要なものはゲルマン・ロマンス(ラテン)・スラブの三大言語族である。
ロマンシュ語はラテン語を起源とするロマンス語の一種である。カトリックは主にアルプス以南のロマンス語圏と、プロテスタントは主にゲルマン語圏と地域的には一致しているが、ドイツでは南部がカトリックであり、オーストリア・ポーランドなどもカトリックであるように、言語と宗教が必ずしも対応関係にあるわけではない。

『侍タイムスリッパー』

金曜ロードショーで放映されていた、安田淳一脚本・監督・撮影・編集、山口馬木也・冨家ノリマサ・沙倉ゆうの出演『侍タイムスリッパー』(未来映画社,2024)を観た。
映画館で2回観たので、都合3回目の鑑賞である。2回観た時には感じなかったのだが、2人の必死な生き様が現代の人たちに受け入れられているシーンなどの新しい感動もあった。

『戦後八〇年・「昭和」一〇〇年 天皇制を問う』

堀内哲編著『戦後八〇年・「昭和」一〇〇年 天皇制を問う:七三一部隊と松代大本営』(同時代社,2025.8.5)を読む。

著者の堀内氏は、学生時代に一緒に教育ー学園闘争を担った仲間である。本書はタイトルにもある通り、新宿区戸山や川崎市登戸で展開された七三一部隊と、著者の地元である長野県松代市に計画された松代大本営における指揮系統の分析から、天皇の戦争責任を問い直そうというものである。主に堀内氏が七三一部隊を、歴史研究家の原昭己氏が松代大本営の項を担当されている。大陸進出の切り札としての細菌兵器と本土決戦に向けた国体護持は、当時の

著者の堀内氏は、本書を上梓した理由について次のように述べる。

裕仁も、戦前は大日本帝国憲法の天皇主権者、戦後は象徴天皇としての立場が二つあり、戦争責任が問われないように両面を巧みに使い分けていました。しかし責任の主体は一つであり、そこに焦点化して八〇年後の戦争責任を追及しているのが本企画です。

さらに著者は、現在中国政府が、黒竜江省ハルビン市の「旧関東軍第七三一部隊遺跡」を世界遺産として登録しようとしており、これが実現した暁には、ポーランドのアウシュヴィッツや広島原爆ドームと並ぶ負の世界遺産として認知され、天皇の戦争責任の声が燎原の火のごとく広がり始めるだろうと述べる。

堀内氏は、皇室典範及び憲法第1条~8条が一個人としての天皇の人格を否定しているものとし、天皇制自体を維持すべきでないと述べる。そして、国民統合の象徴である現行天皇制を廃し、国民の意志が反映しやすい直接民主制の大統領制度にすべきだと主張する。
また、原氏は天皇制は父権主義やミソジニーの温床ともなっており、

また、著者は天皇制廃止のためには、憲法第一条から

最後に、私が卒業論文で取り上げた文学者・中野重治氏の思いを紹介したい。戦前プロレタリア文学者として華々しくデビューしたものの雑誌『展望』の1947年1月号に『五勺の酒』という短編小説を発表している。中野は旧制中学校の老教師をして次のように述べる。

僕は天皇個人に同情を持っているのだ……あそこには家庭がない。家族もない。どこまで行っても政治的表現としてほかそれがないのだ。ほんとうに気の毒だ……個人が絶対に個人としてありえぬ。つまり全体主義が個を純粋に犠牲にした最も純粋な場合だ。どこに、おれは神でないと宣言せねばならぬほど蹂躙(じゅうりん)された個があっただろう。

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『バスで、田舎へ行く』

泉麻人『バスで、田舎へ行く』(JTB,2001)をパラパラと読む。
1924年から2012年まで発行されていた旅行雑誌『旅』に連載されていたコラムがまとめられている。ローカルバス路線を利用して、田舎の珍しい地名や忘れられた観光地を巡る旅日記である。まだテレビ東京の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が放映される前に刊行されている。

旅行雑誌のコラムなので、細かい電車やバスの路線が明記されている。それでも、田舎に向かうバスは、だんだん人が減っていき、道が細くなっていく。そんな様子を作者は「ドラクエの隠れ道に入りこんでいくときのような感覚」と称する。

「田植え不要のコメ栽培支援」

本日の東京新聞朝刊に、「乾田直播」によるコメ栽培が増えており、農林水産省も補助金による支援に乗り出すとの記事が掲載されていた。乾田直播とは、苗作りを省き、水を張っていない水田に直接種を播く手法のことである。東南アジアで一般的な畑に種を蒔き、畑作として栽培する陸稲とは異なる手法である。

地理用語で捉えると、これまでの日本の水田は土地生産性は高いものの、大規模化できないため労働生産性が低くなっていた。この乾田方式は田植えや苗作りが不要なので大規模化しやすく、トラクターを利用することで労働生産性が上がることが期待される。

記事によると、水を張った田からはメタンガスが発生するという難点があり、メタンは二酸化炭素(CO2)の25倍の温室効果を持つとされ、水田からの排出量は国内の約4割を占めるという。

水田は自然のダムであり、治水の面でもメリットがあり、効率化だけで大規模化することに異論は多々あろう。しかし、農業人口の減少と食料安全保障の観点からも、米の大規模栽培の研究・支援は正しいベクトルに向いていると考える。