徒然なるままに

[http://www.mainichi.co.jp/news/journal/photojournal/archive/199906/21/21-07.html]
今日はあす行う古典のテストを作成した。出題範囲は今昔物語と徒然草である。一年生なので基本的な助動詞や歴史的仮名遣いなどを訊ねる問題だ。文法問題は作るのは簡単だが、解くのは面倒だ。
またついこのあいだ毎日新聞に法政大学の学生の記事が出ていた。学生がどんどん発言をしなくなっていく中でめずらしい貴重な存在だ。

1998・8・15反靖国闘争総括

 98年の靖国神社への情宣活動は私にとって3回目の行動であった。
 約4年前の95年の5月に私の通う大学で現在自由党の議員である小池百合子の講演会があった。そこで小池百合子は「戦後生まれに戦争責任なんてない」と壇上で発言を行い、物議を醸す事件があった。
 私自身はそれまで過去の日本が犯した戦争は侵略戦争以外何物でもないと習ってきたが、いざ戦後生まれの自分の立場に照らして考えるという経験は無かった。それまで私自身も「戦争責任」と問われても関係ないと考えていた。しかし過去の戦争の結果生まれた戦後民主主義の下に育ち、戦後憲法の庇護において生活する自分の今の立場を考えたとき、現在という時間の中で、再び戦争を引き起こさないための行動を自分の立場性において行っていかなければならない。繰り返される核実験やイラクへの米軍の軍事行動など、新聞やテレビのニュースとして消費するのではなく、私自身が主権者の一人として責任をもって反対の声を上げていかねばならない。そこで私は95年からまず自分にとっての戦争責任をとらえ直すという作業の中で、靖国神社に向き合うことになった。
 99年の1月に入って自民党と自由党の連立政権が成立し、「周辺事態」の際の米軍への「後方支援」や、ガイドライン関連法案の早期成立が狙われ、いよいよ日本も「戦争ができる国」へと変わろうとしている。「戦争責任なんてない」と発言した小池百合子が今自由党議員として、「国際貢献」の美名の下での「軍事大国化」を推進しているという事実をふり返る必要がある。今こそアジアへの侵略戦争、戦前国家総動員体制を支えてしまったという現実を直視ししていかねばならない。そのために靖国神社のビラ巻き行動は単なる過去50年前の歴史認識の埋め合わせではなく、再び進んでいるファシズムへ体制へのアンチであり、これから来る〈戦前〉情況に抗する反戦運動の基軸として据えられなければならない。
 私たちはこれからどのように過去の侵略戦争を美化する「靖国システム」に向き合っていかねばならないのか。それは私たち戦後生まれの一人の市民、学生、労働者としてそれぞれの立場に根差した反戦運動の行動の過程に求められるものである。
 最後に戦前に治安維持法で捕まり獄中生活を強いられながらも戦争体制国家に厳しい批判の声を上げてきた戸坂潤の言葉でもって、99年以降の反靖国行動へとつなげていきたい。

 で問題は、諸君自身の「自分」とは何かということにある。
 そこが話の分れ目だ。

駒寮の現状

駒寮の現状

2・23の読売新聞の記事を参照ください。

現在裁判斗争に舞台は移っている。しかし97年度もキャンパスプラザ‐CCCL‐の予算は文部省より付いており、アリバイ的に予算を使うため、駒寮の一部が取り壊される危惧は残る。

〓〓〓駒寮委員会と自治会の結びつき〓〓〓

 三鷹寮が整備されておらず、なし崩し的に駒寮存続もありうるのではないか。しかしハードだけでなくソフト(24時間学生による自主管理という内実)を守っていかねばならない。今後の東大生の能力が試される。

 翻ってこのPbを早稲田に照らしてみたとき、教課分離に基づいた新学館反対というスローガンは必然的にでは現キャンパス内で学生の自主管理能力が問われるところである。新学館では自由に自主的に活動できないという文句は、では地下で自主的に管理し、学生内部での話し合いの中で自由な空間を創っていけるのか。非常に難しい。キビシー。
 今後地下部分では新学館着工開始、完成後まで大きなメルクは学ヒを除けば少なくなるであろう。新学館反対の声をあげていくだけなのか。冬のビラにもあった通り、大学当局の企業への就職予備校と化したカリキュラム再編(パソコンの導入、専門科目の重点化)、学生の厚生補導的な「課外活動」、「教育プログラム」に学生の自主・自治活動の理念を如何に対置していくのか。そもそも学生の自主活動に今更改まって論述すべき理念が果たしてあるのか。(それを言ったらおしまいか?)

駒寮のPbも24時間キャンパスがオープンで学生の自主管理であるが、ではそこに

 私の今考えていることは相手の土俵にのった議論ではなくてもいいということだ。つまりうまく言えないが、相手(権力、大学当局、資本)の攻撃に対して真っ向から批判していく事は大事だが、ベトナム戦争下でアメリカ政府のやり方に対して、反戦ソング、デモ、ヒッピーなどで「抵抗」を生んでいったように、大学当局の資本べったりの「学問、知のあり方」に対して、抵抗の手段として文学、音楽、劇といった文化、カウンターカルチャーを創っていけばいいのか。ここで抵抗の歯止めを創るために、連帯の絆をつくるために「歌」があればいいなと思うときがある。

総合講座Ⅳにむけて

この総合講座Ⅳのテーマは「人権への視座」ということであった。個々のテーマを通しながら一年間を通して「人権」への理解を深めるというのが授業の主旨であった。
そもそも「人権」とはどのような権利なのだろうか。「人の権利」と書くが、人間が人間であるそれを証明するためだけの権利なのか?

私は現在「精神」病院で働いており、精神医療や、野宿労働者(一般にホームレスと呼ばれる人々)の問題などと、この一年間総合講座の授業を受けながら並行して関わってきた。
そして各現場の中で私が感じたことは「人が人として扱われる権利」、小学生でも分かるようなことが、この国では簡単に見捨てられ、そして切り捨てられてきたということだった。
そのような状況に対して自分は何ができるのか。何をしなくてはいけないのか。そのなかで、今“学生”という立場に置かれている自分は果して何者なのか。そんなことをずっと考えながらこの授業を私は受講していた。
「今『人権への視座』という授業を受けている私は、その同じ時間を新宿の西口で死んでいく野宿労働者の方々と共有している。」「自分は大学という一定特権階級という場において「人権」意識をただ知識欲として弄んでいるだけなんじゃないか。」、そんな思いが授業中頭から抜けなかった。

今冬、渋谷の地下道で野宿労働者の“先輩”に「学生か。 いいねぇ。 わざわざこんな寒い思いしなくても、家に帰れば暖かいふとんが待ってるんだからねぇ」と声をかけられた。私はその場では一応「何言ってるんですかぁ」と取り繕った。しかしそれは本当であり、自分には“学生”という保証された身分と帰る家があった。渋谷の地下道で一緒に飯食って、話し合って「じゃ さようなら」と先輩方はまた寒い街中に戻っていき、一方、私は電気ストーブのある家に帰るのだ。
では、「私も家を捨てて野宿しろ」というのか。そういう議論ではないと思う。学生として、学生という身分の中で私はどう行動するのか。この後もこの問題は自分に問いかけていかなくてはならない。戦前から「大学」と労働者のPbというのは語られてきたが、私自身自分の言葉で整理していく必要を感じている。

マスコミなどでも大きく取り上げられた一昨年の新宿の西口の4号街路からの段ボールハウスの撤去に続いて、昨年後半の秋口から渋谷でも野宿労働者に対するしわ寄せが厳しくなっている。営団の地下通路や国鉄のガード下では、「環境浄化」なる名目でもって野宿労働者の締め出しが行なわれている。さらに246号のガード下においては、建設省はわざわざ「浮浪者除去」とまで明記して、“先輩”方の生活空間の追い出しにかかった。

冬を目前にして、「権力=資本」によって弱者に対する排除は行なわれた。

私が関わってきた部分でもかなり厳しい状況であった。渋谷は駅周辺にあまり風をしのいでくつろげる場所がなく、炊き出しなどは東急109デパートの地下脇の営団地下鉄の通路を使わざるをえなかった。そこでも壁には警告が張り出され、警備員や駅事務員が巡回し、追い出しにかかるという状況だった。その日は先輩の一人が風をこじらせ完全にダウンしていたのであるが、その時駅員は「通行人が臭いと言って困ってるじゃねえか」「俺の土地から出ていけ」「どうせ死ぬならおもてで死ねばいいじゃねえか」と食ってかかる始末であった。
確かにその通路は誰がどう見ても営団の私有地であり、我々の方に負があり、すぐに救急車を呼んでその場は対処した。
その時私たちが議論したのは、「人権」なるものは、全く無いところから私たちがつくっていかなければならないものだということだった。確かに憲法や国連決議などにもったいぶって書かれてはいるが、現場現場で斗って力で築いていかねばならないものだ。戦後民主主義憲法の「基本的人権」や「生存権」などといくら口にしたところで始まらない。「人権違反だ」と声高に叫んだところでらちは開かない。

第11条 基本的人権の不可侵
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第13条 個人の尊重
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第25条 生存権、国の社会的使命
(1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなければならない。

黒板の上で語られる話に終始するのではなく、現在の私たちの生活の中で、「人が人として扱われるという権利」をいかにして克ち取っていくのか。

総合講座のこの授業において、在日や、戦前の女性雑誌、天皇制の問題にも触れた。それらの授業から伝わってきたことは、問題に逆照射される私自身の立場の問題であった。(その中で、部落の問題を扱った教員からはそのことは伝わってこなかったが)

差別問題全般にいえることであるが、在日の問題や「障害」者の問題で実は何が議論されなければならないのか。それはマジョリティの側に属する人間の自身の「規定されている状況」への認識ではないか。

頭の中で、まとめきれていないので今の時点で、これ以上語ることはできなくなってしまった。しかし、「人権」問題に関して、自らの立場性が問われないような人権意識を振りかざしてみたところで何を生むのだろうか、という疑念は結局ぬぐえなかった。

◎ 参考

強制立ち退きに関する決議 国連人権委員会 (1993/77号)

国連人権委員会は,「差別防止及び少数者保護」小委員会による 1991年 8月 26日の決議
1991/12号(強制立ち退き)を想起し, さらにまた,同小委員会による 1992年 2月 2日の決議 1992/10号が,1991年 12月 12日に「経済社会文化的権利」部会委員会第6総会が採択した「適切な住宅への権利に関する一般見解」第 4号 (1991)およびそこで再確認された人間の尊厳と非差別の原則を尊重する重要性について,強く銘記していることも想起し,すべての女,男,および子供が,平和と尊厳のうちに生活できる安全な場への権利を持つことを再び明言し, しかしながら,国連統計によれば全世界で十億を越える人々がホームレスあるいは適切な住居を持たぬ状況にあり,しかもその数は増加していることを憂慮し, 強制立ち退きなる行為は,人や家族や集団を無理失理に家族やコミュニティから連れさることによってホームレス状態を悪化させ,住宅と生活条件を劣悪にするものであることを認識し, また強制立ち退きとホームレス問題は社会的な対立と不平等を尖鋭化し,常に社会の中で最も貧しくまた社会的経済的に環境的政治的に最も不遇で弱い立場にある人々に対して影響するものであることを懸念し, 強制立ち退きは,様々な主体によって実施され,裁可され,要請され,提案され,開始され,黙認されうる,ということに目をむけ, 強制立ち退きを未然に防ぐ究極の法的責任は政府にあることを強調し, 国家機関は適切な保護や補償のないまま人々を大規模に追い立てたり移転させたりする事業に関わるのを慎重に避けるべきである,と述べたところの「経済社会文化的権利」部会委員会第4総会採択の「国際技術援助施策に関する一般見解」第 2号(1990)を想起し,「経済社会文化的権利に関する国際条約」第 16条および第 17条に対応して提出された国別報告のためのガイドラインにある強制立ち退きに関わる質問事項に留意し 強制立ち退きの諸例が「経済社会文化的権利に関する国際条約」の要請に違反していることはまず明らかであり,それが正当化されうるのはごく例外的な場合に限られ,かつ国際法の関連する原理に則ってなされなければならない,と判定した「経済社会文化的権利」部会委員会「一般見解」第 4号を高く評価し,「経済社会文化的権利」部会委員会の第 5総会 (1990)および第6総会 (1991)における強制立ち退きに関する見解を銘記し, ラジンダール・サチャール氏によって作成された「適切な住宅への権利」についてのワーキングペーパーの中で,強制立ち退きが国際的に住宅危機の主要な原因の一つであるとして指摘されていることも銘記し,さらに,1992年 8月 27日に採択された小委員会決議 1992/14号 (「強制立ち退き」)をも銘記したうえで,

  1. 強制立ち退き行為は,人権なかんずく適切な住宅への権利に対する重大な違反であることを明言する;
  2. 強制立ち退き行為をなくするためにあらゆるレベルで直ちに対策をとることを各国政府に要請する;
  3. また,現在強制立ち退きの脅威にさらされているすべての人々に対して,影響をこうむる当の人々の効果的な参加や彼らとの協議。交渉に基づいて,保有条件の法的保障を授与すること,強制立ち退きに対するまったき保障を与えるためのあらゆる必要な措置を講ずること,をも政府に要請する;
  4. 強制的に追い立てられた人々やコミュニティに対しては,彼らの願いや必要に見合って,原状回復,補償,および/もしくは適切で十分な代替住宅や土地を,影響をこうむった当の人々やグループとの相互に満足のゆく交渉をへた後に,直ちに与えることを,すべての政府に勧告する;
  5. 本決議を,すべての政府,「国連人間居住センター」を含む関連国連機関・国連専門機関,国際地域・政府間機関,NGO,住民組織に送付し,彼らの見解とコメントを求めることを,国連事務総長に要求する;
  6. さらにまた,国際法と法制,および前項に則って提出される情報の文責に基づいて,強制立ち退き行為についての分析的報告をまとめ,本委員会第15総会に提出することをも,国連事務総長に要求する;
  7. 第 60会総会では第 7議題「経済社会文化的権利の実現」のもとでその分析的報告を論議し,強制立ち退き問題を引き続き検討するための最も有効な方法について定める;

ことを決定するものである.

96-97冬のり実行委員会 渋谷 越冬まつり総括会議にむけて

96-97冬のり実行委員会

<渋谷  越冬まつり総括会議にむけて>

風邪が流行っており、皆さん強行軍の中、越冬斗争お疲れ様でした。 私が関わった範囲の中で、感想を簡単に述べてみたいと思います。

今回私は首都圏部分で東工大から「渋谷が今年は厳しく、人手が足りない」と言うことを聞いていて、冬休みで、破防法関連、学内が一段落付いたので関わることになった。

《越年祭りについて》
31日はいろいろ制約が多かった中で先輩方、支援の側共に楽しい雰囲気の中で交流を深めることができたのではと思います。私も28日の炊き出しで知り合った先輩(わかやまさん)に来てもらって内心の喜びは隠せなかったです。しかし疲れのためか、深夜12時越えたらさっぱり元気がなくなってしまい、パトロールにも参加できませんでした。

昨年の状況は分かりませんが、先輩への呼びかけもしっかりやっており、ちょっと来てお茶を一杯だけ飲んで帰っていった先輩方も多いので、100人は優に越えたのではないか。

当日手伝いに来てくれた人たちに対するオルグがちょっと弱かったと思います。支援の側に対して、いのけんでの今後の取り組み、宣伝などしっかりやったほうがいいのではないか。当日の野宿労働者に対する熱心な態度は、当日に参加した者にも十分に伝わってきたが、興味があっても、いのけんがどういう存在なのか、どう今後加わっていけばいいのか当日参加者にはよく分からないと思う。(この点はいざ自分の運動を振り返るに重々自戒を込めて)
私もおととしの夏祭りに参加して、いのけんのビラをもらって、興味もあったのだが、これまで一歩距離を取ってきた。そのような私の態度は反省しているが、普通の学生には今一ついのけんに近づくきっかけがつかみにくい感じがあるように思う。

越年祭り、炊き出し・医療相談、福祉行動と一連の流れで先輩に呼びかけることが出来た。また支援の側が責任を持って対処している点に頭が下がる思いです。

あと過去何度も議論されてきた事であると思うが、私たちが先輩方を支援するために、逆に先輩方の”括弧付きで称される社会”への復帰を妨げていることにならないかという危惧である。この点は私のバイト先の「精神病」院でもある議論なのだが、そこではバイト学生は患者さんの話し相手でしかないのだが、

《看護谷口氏より4日の医療パトロールに参加して》
いのけんの皆さんが継続して取り組んでいるということがひしひしと伝わってきた。当日は日勤の仕事が忙しかったので、体力的にちょっときつかったのですが、又声を掛けてください。あらかじめ状況を教えてくれれば、薬でもきちんと用意して対応できるので。

今週も越冬お疲れ様でした。まだまだ続きますが、私も時間が許す限り金も知恵もないですが、支援に回りたいと思います。いつでも声を掛けてください。