1998・8・15反靖国闘争総括

 98年の靖国神社への情宣活動は私にとって3回目の行動であった。
 約4年前の95年の5月に私の通う大学で現在自由党の議員である小池百合子の講演会があった。そこで小池百合子は「戦後生まれに戦争責任なんてない」と壇上で発言を行い、物議を醸す事件があった。
 私自身はそれまで過去の日本が犯した戦争は侵略戦争以外何物でもないと習ってきたが、いざ戦後生まれの自分の立場に照らして考えるという経験は無かった。それまで私自身も「戦争責任」と問われても関係ないと考えていた。しかし過去の戦争の結果生まれた戦後民主主義の下に育ち、戦後憲法の庇護において生活する自分の今の立場を考えたとき、現在という時間の中で、再び戦争を引き起こさないための行動を自分の立場性において行っていかなければならない。繰り返される核実験やイラクへの米軍の軍事行動など、新聞やテレビのニュースとして消費するのではなく、私自身が主権者の一人として責任をもって反対の声を上げていかねばならない。そこで私は95年からまず自分にとっての戦争責任をとらえ直すという作業の中で、靖国神社に向き合うことになった。
 99年の1月に入って自民党と自由党の連立政権が成立し、「周辺事態」の際の米軍への「後方支援」や、ガイドライン関連法案の早期成立が狙われ、いよいよ日本も「戦争ができる国」へと変わろうとしている。「戦争責任なんてない」と発言した小池百合子が今自由党議員として、「国際貢献」の美名の下での「軍事大国化」を推進しているという事実をふり返る必要がある。今こそアジアへの侵略戦争、戦前国家総動員体制を支えてしまったという現実を直視ししていかねばならない。そのために靖国神社のビラ巻き行動は単なる過去50年前の歴史認識の埋め合わせではなく、再び進んでいるファシズムへ体制へのアンチであり、これから来る〈戦前〉情況に抗する反戦運動の基軸として据えられなければならない。
 私たちはこれからどのように過去の侵略戦争を美化する「靖国システム」に向き合っていかねばならないのか。それは私たち戦後生まれの一人の市民、学生、労働者としてそれぞれの立場に根差した反戦運動の行動の過程に求められるものである。
 最後に戦前に治安維持法で捕まり獄中生活を強いられながらも戦争体制国家に厳しい批判の声を上げてきた戸坂潤の言葉でもって、99年以降の反靖国行動へとつなげていきたい。

 で問題は、諸君自身の「自分」とは何かということにある。
 そこが話の分れ目だ。