『溺れ谷』

松本清張『溺れ谷』(新潮文庫)を読む。
尾崎秀樹の解説が面白かった。有吉佐和子の『複合汚染』や城山三郎、堺屋太一などの小説を「情報小説」と位置づけ、読者の眼を社会へと向けさせていく啓蒙小説という論だ。ちょうど1870年代にそれまでの封建制と対峙する啓蒙小説が広く流布される時代があった。それらに影響された読者が自由民権運動を下支えしていった。この尾崎さんの論は1975年に書かれた古いものだが、何かしら新しさを感じた。

『セックスレス・カップル』

吉廣紀代子『セックスレス・カップル』(NHK出版)を読んだ。
男女の関係の変化が職場や家庭の役割からセックスにまで及んでいるというルポルタージュである。セックスが夫婦・恋人のコミュニケーションだというのは古来からあった観念であるが、特に団塊の世代のフリーセックス論以降、コミュニケーションにおいて重きをおくセックスが「微妙」なものになった点が指摘されていた。個別個別のケースについて検証していくならば、夫婦のセックスなどいたづらな興味本位的なものになってしまいがちである。だが、この『セックスレス〜』では、最後に「セックスレスは何を物語っているのか」の中で12のカップルに共通する点を検証している。休日の遊びの多様化や子供を産み育てることへの不安、男性リード型の行為から男女相互型の行為がもたらす男女の関係の変化などまとめられている。

私はこのセックスレスという状況はもう少し別の角度から論じられるのではないかと思う。それは「ボランティア」との類似である。いわゆる日本的「ボランティア」というものはその中身については100%ピュアな純真なものとされ、その活動を通した人間関係も「きれい」なものであるといった前提認識がある。だからそれに関わるものは「心優しい人」を演じる。人間の心のなかにある拭いがたい差別感情や様々な欲望感情が「ボランティア」という横文字に隠ぺいされ、間違った行動に走ってしまうものが少なからずいる。
セックスレス状況におかれたセックス行為も自由に論じられるようになったにも関わらず、男女の平等な関係形成、愛の結実という名目を背負っている。その狭間で行為自体が「微妙」なものにならざるを得ないのだろう。

最近この「微妙」というタームを使う若者が多いが、大変気になる表現である。「○○系」や「○○っていうか」など物事をはっきり言わないのが現在の日本語の流行であるが、この「微妙」にはもっと深い背景があると考えるが、まだ結論は出ていない。

この文書を書きながら、ラジオで、ジェノバサミット会場付近での「反グローバリズム」を掲げるデモ隊のニュースを報道していた。日本の新聞ではあまり報道されないので、これからネットで調べてみたい。

d0017381_ d0017381_0
d0017381_047 d0017381

本日の夕刊から

栃木県の下都賀地区の教科書採択協議会が扶桑社発行の「新しい歴史教科書」を採択する方針を固めたことに関して、栃木県教職員組合が同県教育委員会に申し入れ書を提出した。これは同教委が教科書選定の際に役立つように作成した資料において、学習指導要領の目標に明記された「国際協調の精神を養う」という観点が対象外とされていた問題の理由を質すというものだ。実際に下都賀地区教科書採択協議会が「新しい歴史教科書」を採択した背景に、「国際協調」の観点がなかったことが有利に働いたという指摘もあるという。

私はこの記事を読むに、議論の方向性はさておいて、議論自体のあり方は正しいことだと考える。かつての家永教科書裁判において眼目のひとつに、教科書を国が決めるのではなく、地域で議論しながら採択をしようということが挙げられていた。確かにまだ検定制度は悪しき形で残っているが、しかしこのように地域レベルで教科書の採択を巡ってもめるというのは10年前に比べ民主的だと考える。

扶桑社の「新しい歴史教科書」を実際に手にしてみたが、神話の話や人物にスポットを当てた記述スタイルは中学生にとって確かに「読みやすい」ものだと思う。扶桑社の教科書の内容如何は個人的には賛同しかねるが、問われるべきは国・地域・教育現場レベルでの歴史観を巡る真摯な運動である。逆に考えれば、平和憲法の歴史的な成立過程、差別・抑圧の構造的理解、闘争から生まれた労働者・女性・児童の人権確立など、教科書の暗記に埋没しない活きた歴史教育が盛り込まれた教科書を、そして教科書運動を創っていけるチャンスだと思うのだ。
韓国の金大中大統領は日本との民間レベルでの交流も凍結する考えをもっているようだが、これを否定的に捉えずに、歴史認識の共同化の第一歩とする取り組みが問われるだろう。

尹健次『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書)の最後に次の一節がある。

しかしそのためには植民地支配、そして分断をよぎなくされた朝鮮半島の歴史をふりかえり、とりわけ日本・日本人にとっての朝鮮・朝鮮人の意味を問うことが不可欠ではないでしょうか。そこから、若い人たちが、「過去の清算」のために「戦後責任」という思想をしっかりと身につけていくとき、日本人と朝鮮人がともに生きていく道が大きく開かれていくはずです。それはまた、この地球上のすべての人たちが共生・共存していく道にも、確実につながっていくはずです。「ともに生きる」とは「ともに闘う」ことなのです。