松葉仁『ケータイの中の欲望』(文春新書 2002)を読む。
自動車電話やポケベルといった80年代以前の技術から90年代に入って携帯電話がどのような需要のもとに進化していったのかということを時系列的に分かりやすく解説している。
しかし第三世代携帯電話が普及した今,既にケータイは「携帯」通信端末としての機能を終え,メールや映像を含めた広範囲なコミュニケーション文化の中で,待ち受け画面や着メロといった「(消費文化の中における)個性」を示す分かりやすい象徴となるだろうと著者は指摘する。
技術は人々の欲望の延長線上に存在意義を認める。技術の必要ではなく,欲望の求めるところに従わないと,その技術は市場を獲得することはできない。携帯電話の技術もまた例外ではなく,人々の欲望のいきつく先を常に実現することで進化してきた。だが,いつでも・どこでも・誰とでもコミュニケーションがとれる携帯電話の技術も,もはや人々の欲望の先を読めないでいるのではないだろうか。
なぜなら,人々のコミュニケーションは,いつでも・どこでも・誰とでもが当たり前になり,それ以上の方向性を見出せないでいる。その意味で,携帯電話の技術の進化は崖っぷちに遭遇しているような気がする。技術は進化するが,その技術と欲望とが適合しない。そんな時代を携帯電話は迎えている。