ふとした事で、生きるという意味を突きつけられた。生きる楽しさが見つからないから死んだほうが良いという意見に対して、どうすれば明確な批判ができるだろうか。
トマス・ネーゲル『哲学ってどんなこと?』(昭和堂 1993)を読んでみた。
大学の哲学の授業のテキストにも使われる哲学の入門書である。人間の心は結局、他者性に欠けたその人の主観に属するものであり、道徳や正義はその人の心に内在するものだということを丁寧に証明する。そして、著者であるネーゲル氏は、生きる意味を自分の外部の神や社会に求めても結局は堂々巡りに終わってしまうことを明らかにした上で、次のように生きる意味をまとめる。
たとえ、人生が全体としては無意味であったとしても、だからと言って何も心配することはないかもしれません。もしかすると、私たちは、人生が無意味だと認めながらも、以前と同じように生き続けることができるかもしれません。そのために必要なコツは、あなたの目の前にあるものだけに目を向け、正当化はあなたの人生の内側や、あなたに関わりがある人たちの人生の内側で終わるのだ、と認めてしまうことです。もしあなたが「でも、一体何のために生きているのだろう」と自問するならば、あなたは、こう答えるでしょう。「目的なんか何もないさ。もし私がいなかったとしても、あるいは、もし私が何も気にかけなかったとしても、大したことではないだろう。それでも、私は存在しているし、気にもかけている。それだけのことさ」。