今日から社事大での授業が始まった。「障害者福祉」の授業ということで期待して臨んだのだが、その内容たるやがっかりであった。ただただ6時間ぶっ通しで、パワーポイントの文字だらけの画面を棒読みするだけの授業であった。ほとんど聞かずに自学自習に励んだ。国連での障害者運動の展開や様々な在宅・施設の福祉施策、障害者手帳について大まかだがまとめることができた。学習する分野が限られているので、授業後のテストで8割取ることができた。1月の国家試験をどうしようか、まだ結論は出ない。。。
幼児教育についてのちょっと対照的な本を読んだ。
茂木俊彦『障害児を育てる』(大月書店 1984)と保坂展人『危ない公文式早期教育』(太郎次郎社 1994)の2冊である。
前者は、子どもの障害にばかり目が行ってしまう過保護な障害児の親に対する子育ての指南書である。平易な語り調で、障害を持っているとは言え、子どもは年齢を重ねるにつれて日々成長していくものであり、子どもができないからといってやることなすことにすべて手助けしてしまうことは子どものためにならないと述べる。現在のノーマライゼーションや特別支援教育を先取りするような事柄を述べており、一読に値する本である。
後者は、ゼロ歳児から2歳までの乳幼児を対象とした公文式教育に批判を投げ掛けた本である。親の都合で文字や数のインプット教育を徹底することにより確かに言葉は早く覚えるが、社会性や主体性の欠如した子どもになる可能性が高いと保坂氏は述べる。カードをパッパッと見せるフラッシュカードや膨大な数のプリント学習は小学生には一定の効果があっても、幼児にはデメリットの方が多いと実際の公文式の指導者も答えている。保坂氏自身、現在は議員として文部科学委員会にてインクルージョンや抜本的な交流教育のあり方を提案しており、その批判の土台は、徹底した遊びの中にこそ育ちのきっかけがあるとする障害児教育に根を下ろしているようだ。
片や子どもの障害に捕らわれ、子どもに過保護なり過ぎている親について、片や子どもの数値で計りやすい読み・書き・計算能力の向上に親の生きがいを求め、子どもの自由な遊びを否定する親のあり方について述べるが、その問題の根っ子の部分は同じような気がする。IQが高かろうと低かろうと、子どもの成長年齢に応じた触れ合いや遊び、他者との関わりが大切なのである。少子化の中、子どもが少ない分だけ逆に加熱する育児であるが、子どもに対する隔てない愛情と少し冷めた判断が求められる。