辻仁成短編集『オープンハウス』(集英社文庫 1998)を読む。
作者の辻仁成さんの作品はデビュー作『ピアニシモ』があまりに鮮烈であったために、それ以後の作品はあまり面白いと感じていなかった。オーストラリアで読んだためもあろうか、妙に印象に残る作品だった。表題作の『オープンハウス』は自己破産し売れないモデルの居候をしている20代の男を描く。犬のエンリケやモデルのミツワ、働けば働くほど赤字な工場を経営する両親、そして行けども行けどもをその終わりのない都市の姿を通して、先の見えない生き方を描く。もう一つの短編『バチーダ ジフェレンチ』はきわめて純文学風な味わいのある作品で、フランス文学における「嘔吐感」のように、自己の他者への拒否反応をジンマシンに象徴させて描く。
次の一節がふと心に残った。
学校帰り、ふいに何処か違う街へ行ってみたくなる癖があった。家にあまり帰りたくないという気持ちが、あの頃の僕をそうさせていたのかもしれない。校門を出ると、わざと知らない道へ逸れ、家から遠ざかっていくことに一種の快感を覚えていた。今まで一度も歩いたことのない道を歩くのが好きだったのだ。毎回同じ道は絶対歩かなかった。知らない道を歩くと、不思議と自分の世界が広がっていくような気持ちになれたからかもしれない。道は無尽蔵にあり、そこには自分の生活宇宙よりもっと大きなものがあるような気がして、僕の好奇心は膨らんでいった。怖いという気持ちはまったく起こらなかった。僕は知らない道を歩くのが好きだった。