何とも評価しにくい大学である。教育学部と経済学部の2学部あるのだが、交通の便も良く、それぞれ一定の評価を得ている。
1922年に設置された彦根高等商業学校と1875年に大津に設置された小学校教育伝習所の2つの流れが、戦後の教育改革で滋賀大学と看板を変えただけで現在も続いている。JR東海道本線の快速で40分足らずの距離だが、教員レベルでも学生レベルでも交流は薄く、教養教育も部活動、寮もそれぞれのキャンパスで完結している。
学長の佐和隆光氏自ら、「二つのキャンパスに分かれていることから、教育と経済という21世紀の日本を支える二本柱を学ぶ学生諸君がお互いに意見を闘わせる機会が少ないのを、私は遺憾に思っています」と冒頭で述べている。そこで学長は「情報通信機器を有効活用して両キャンパスの学生・教職員のコミュニケーションの緊密化を図」ると提言しているが、時間とお金の無駄であろう。
同じキャンパスで、同じ教室で、同じサークルボックスで飲み語ることにこそ大学生活の原点があるというのが私の考える大学のあり方である。その中で多彩な交流や幅広い教養と体系だった専門を学び、自分自身の力で自分を発見する場がキャンパスである。だから時間的にも空間的にもキャンパスは「度量」の広いものでなければならない。滋賀大学関係者には申し訳ないが、「一県一国立大学」の「駅弁大学」(大宅壮一)を生んだ戦後教育改革の残滓であろう。歴史的、地理的に分断された2つの学校間で連携を図るのは、どれだけ情報通信が発達しても意味がない。
いっそのこと彦根にある滋賀県立大学と、大津にある滋賀医科大学と大合併をして一大学となった方が、まだスケールメリットを生かせるのではないだろうか。従業員を何万人も抱える大企業が合併する時代である。県と国の垣根を越えることも難しくはないであろう。