林京子『瞬間の記憶』(新日本出版社 1992)を読む。
著者は2017年に87歳で亡くなっている。長崎での被曝体験を元に数多くの小説を発表され、『祭りの場』で、第18回群像新人文学賞、および第73回芥川賞を受賞している。
この作品は小説ではなく、1977年から92年にかけて新聞や雑誌『世界』や『群像』『新潮』などに発表したエッセーがまとめられている。被曝体験よりも、1981年の東京新聞に掲載された次の一節が印象に残った。
(シンポジウムに参加して)印象深かったのは、選択の情報を用意しながら、一元化が計れる時代でもある、という危険性を指摘した発言である。豊富に選択の材料を用意しながら、心理的にマスへの操作があり得るのではないか。目的をもった情報のなかで選択を強いられ、無意識のうちに集団化している-。情報の受け手である私たちが、最近特に感じていた情報の傾向化なので、怖い指摘だった。この怖さは、無個性時代といわれながら、やはり群れたがる、個性への疑問体と思う。個性派の代表のようにいわれるタケノ子族にしても、あるものから選んでいるだけで、選ぶ個々に、独創性はない。
さらに集団化することで、個人は没個性的になり、逆に、集団としての特色を生み出していく。屈するつもりのない個が集団に抱き込まれて、目的をもった個性になって動き出す。選ぶ目を鍛えねば、また知らぬ間に統制されたマスに巻き込まれてしまう。